甲州街道の歩き旅、11日目となる今回は一泊二日の旅で、前回旅を終えた富士見駅からのスタートです。
今日は、上諏訪宿まで歩き諏訪湖湖畔のホテルに宿泊し、翌12日目にゴール地点の下諏訪甲州道中の終着点を目指します。
2022/9/11(日)単独 行動時間 8時間20分
富士見駅9:15-金沢宿11:45-茅野駅前14:30-上諏訪宿16:50-諏訪湖畔ホテル17:35
街道歩き旅11日目は、前回旅を終えた富士見駅からのスタートです。
原の茶屋の標識があるY字路の一角に「金毘羅一之御柱」と記された御柱がありました。
近くの金毘羅神社に立てる御柱でしょうか?
文化八年(1811)建立という金毘羅常夜燈がありました。
右手の草道が金毘羅神社への参道のようです。
この常夜燈は電球が付いていましたので、現在も実際に使われているようです。
御射山神戸八幡神社です。
宝暦十二年(1762)に建立されたというこの社殿は朽ちている様子はなく立派な社殿です。
横のケヤキは推定樹齢390年、樹高30m、幹回り7.7mの大樹で富士見町最大ということです。
御射山神戸一里塚は、日本橋から48里目の塚で、この西塚には塚がつくられた慶長年間に植えられたと推定される樹齢およそ380年のケヤキが今も勢いを保っています。
東塚は榎の塚でしたが明治期に枯死ししたため、ケヤキが植樹され現在両塚とも見ることが出来る一里塚として貴重な存在になっています。
金沢宿本陣跡です。
解説板によると、金沢宿は慶安年間の初めまでは現在地の北方権現原にあって青柳宿と称していたが、度重なる水害と前年の火災で焼失したのを機に、慶安4年(1651)現在地に移転し金沢町と改称。
金沢宿には2軒の問屋が置かれ、主は名字帯刀が許されていて世襲で継がれていたようです。
馬宿跡です。
建物は明治中期の横棟造りで、庭先の大きな石の前に馬つなぎ石が一基あります。当時は24頭の馬と馬方を泊めることが出来た大きな馬宿だったようです。
権現の森の参道正面に承応三年(1654)建立の金山大権現を祀っている石祠がありました。
旧宮川寒天蔵。
板倉3階建て、土壁漆喰仕上で明治元年に川岸で繭倉として建築されたものを大正時代にここへ移築し寒天の保管庫として使われてきた蔵です。
現在は、多目的ホールとして様々なイベントなどに利用されているということです。
川上橋から八ヶ岳連峰の山々が良くみえました。
正面に天狗岳、右手に最高峰の赤岳、そして一番右手の編笠山まで雲の下に美しい山々の連なりが確認できたのはラッキーでした。
茅野駅近くに大鳥居があります。
この大鳥居は、茅野駅より上社を結ぶ参道の入口にあり、茅野駅を利用しての諏訪大社を参拝をするための表参道の入口になっています。
ここに諏訪大社の鳥居があることは知りませんでした。
大門街道と合流する三叉路に大門追分道標があります。
大きな道標に「右江戸道」、小さな道標に、「右江戸道 左山浦道」そして常夜燈にも「右東京迄 左大門道」と刻まれています。
ここにも秋葉山常夜灯と道標があります。
道標には「左江戸みち 右大明神江」と刻まれているようです。
街道脇には庶民用の「大清水」が湧いており、冷たい水を飲むことが出来ました。
この路地の奥には高島城藩主が在城の時に使った殿様御膳水があるようですがそちらには行きませんでした。
甲州街道の旅は角間橋を渡った地点で終え、本日宿泊するホテルに向かうため湯小路の小路に入ります。
すぐに平温泉のレトロな建物が目に飛び込んできました。
令和2年に大正10年の改築から100周年を迎えた記念の式典が行われたようですが、今も市民の憩いの場として愛され利用されているようです。
慶長3年(1598)、豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」によって築城された高島城に立ち寄りました。
天守閣は昭和45に復興され、美しい姿を見せてくれています。
橋を渡って復興された冠木門から城内に入ります。
ここから城内を通って宿泊先である諏訪湖湖畔のホテルに向かいます。
予定時刻を30分ほどオーバーしましたが、湖畔にある「ラルバ諏訪湖」に到着。
11日目は距離23.8K、時間8時間20分の歩きでした。