前日富士見駅からの歩きで、本来であれば茅野駅周辺のホテルに泊まるのが良かったのでしょうが、最終日は温泉のある宿に泊まりたかったので少し距離がありましたが上諏訪まで歩き、湖畔の温泉宿でゆっくり温泉に浸り疲れをいやしました。
最終日は距離も短いので、漬物やお酒などの土産物を買ったりしながらのんびり歩くことができました。
2022/9/12(月)単独 行動時間 5時間20分
諏訪湖畔ホテル8:25-下諏訪駅13:45
諏訪湖畔のホテルから街道に戻り、最初に高島城の鎮護神である八剣神社に立ち寄り参拝。
ここに立ち寄って神社の信楽殿に美しい飾りが施してあったので、何も知らずに立ち寄ったものでしたからラッキーでした。
神社の遷座祭を奉祝する「ご遷宮のお飾り」を飾り付けるもので、6年毎に氏子有志によって製作されるものということで、今年は「八重垣姫の狐火の段」というタイトルで作成したとのことでした。
甲州街道沿いには昨日確認した真澄を始め、横笛・本金・麗人そして、この舞姫とお酒の好きな方なら嬉しい界隈になっています。
私も利き酒をしようと思い、重いと思いましたが酒三昧のセットをゲットしました。
精進湯の跡地に2020年に お手湯が完成し、だれでも利用できるようになっていました。
熱いくらいの湯で、冬場にはうれしいお湯になりそうです。
寛永十七年(1640)高島藩主諏訪家の菩提寺として建立された温泉寺です。
高台にあるため、山門を潜って振り返ると諏訪湖や諏訪の町並みが一望でき、すばらしい景色を見ることが出来ました。
そして、鐘楼も周囲に遮るものがなく、鐘を突くと遠方まで響き渡りそうな場所に建てられていました。
児玉石神社には境内に五個の大石があり、特に拝殿前には「いぼ石」と呼ばれる大石が二つ。神社のシンボル的存在になっています。
鳥居横には樹齢250年のご神木の大杉もあります。
先宮神社に立ち寄りました。
拝殿脇にケヤキの巨木がありますが、解説板には、幹周7.45m、樹高約25m、推定樹齢650年以上とありますが、大きなコブが幾つもあるのが特徴的です。
先宮神社に入るときに入口の水路にフタが無かったので気になりましたが、由緒記に建御名方神(たけみなかたのみこと)が諏訪の地にやってきたときに、原住民の産土神は抵抗したが服従することになり、この地に鎮座することになったものの、他地に出る事が許されず、境内前の小川には橋を架けない言い伝えで、今でも神社の小川には橋が架かっていないということによるものでした。
鯉料理が名物だった茶屋橋本屋跡です。
手前の門は高島城三の丸門を移築したものということです。
建物正面の桁には「鯉」の彫刻が施されています。
高島藩主もここまで出向き鯉料理を賞味したようです。
「遊び心こめた愛とロマンの元気もりぞうポスト あなたの想いと願いをお届けします」とネーミングされたポストが面白い。
「新型コロナ・オミクロン株に負けないぞう!」の鉢巻きも付けていました。
富部の一里塚の碑です。
江戸日本橋より53里目の塚があった地で、甲州道中最後の塚でした。あと十一町(1100m)で下諏訪宿で中山道につながるとあります。
そして諏訪大社下社秋宮に到着です。
太くて新しいしめ縄が印象的です。
ここで、まずは今回の甲州街道の歩き旅を締めくくっての参拝を済ませました。
奥の幣拝殿横に秋宮一之御柱が建立されています。
今年は長さ17m、直径1m、の樅ノ木で霧ヶ峰高原に続く東俣国有林で伐採され曳行されてきたものと記されています。
甲州街道のゴール地点の中山道との合流地点に到着です。
日本橋を出発してから12日目での到着になりました。
6年前に同じく日本橋から中山道を歩いてこの地に到着したのが11日目でしたので、やはり歳には逆らえない状況になっています。
帰りは上諏訪駅で駅弁を買い込み、あずさの車中でビールを飲みながら一人祝杯でのんびり帰路につきました。
最終日12日目は距離10.5K、5時間20分の歩きでした。
ちなみに、日本橋からの甲州街道の旅の総歩行距離は247Kmという結果でした。