少し暑さも弱まり、雨の心配も少なそうなので、久々に街道歩きを再開。
今日は、韮崎駅から台ヶ原宿のつるや旅館までの歩きです。
出だしは雨に見舞われたものの、すぐにおさまり、その後は雲間から強い日差もあり今回も汗だく歩き旅となりました。
2022/8/23(火)単独 行動時間 8時間15分
韮崎駅 8:35-円野町みどりや食堂(昼食)12:25~13:00-台ヶ原宿 つるや旅館16:50(宿泊)
最初は雲岸寺に立ち寄ります。
平和観音が建つ七里岩の岸壁の下にお寺が建立されています。
七里岩の岸壁の中段に窟観音堂があります。
観音堂の横に掘られた洞窟内には聖観世音菩薩(窟観音)、弘法大師御尊体などの多くの石仏が安置されています。
天気が良ければ平和観音に立ち寄って富士山などの展望を楽しみたいと思っていましたが、今日は下から眺めるだけとしました。
下祖母石付近は白壁の土蔵などの建物が建ち並び、風情を感じさせてくれます。
茅葺の大きな武家門が残っています。
ここにかって武田家に仕えた名家があったようです。
田圃の一角に地元で赤地蔵と呼ばれている南無阿弥陀佛名号碑があります。
建立は享保6年(1721)。
桐沢橋で釜無川を渡ります。
天気が良ければ、ここからは富士山や、鳳凰三山も望めるビュースポットでしたが、今日は両方とも見ることができません。
曲がり角に古い男女双体道祖神がありました。
江戸時代に灌漑用として開削された用水路「徳島堰」に沿っていばらく歩きますが、水流は音を立てて流れる激しいものです。
入戸野(にっとの)の集落には美しい白壁の塀に囲まれた民家もみられます。
徳島堰にはこんな「振子式下掛水車」と呼ばれる発電設備が3か所設置されていました。
説明板によると3か所での年間目標発電量は215,000KWhでおおむね一般家庭43軒分の年間電気使用量に相当するようです。
下円井の集落にも白壁の土蔵が立ち並んでいます。
そして、入戸野にもありましたがここにも火の見櫓があります。
昼食のため穴山橋近くのみどりや食堂に立ち寄りました。
満席状態で混みこみでした。
明治天皇が明治13年(1880)巡行の際に、ここ内藤家で休息をしたということで、庭内に「明治天皇圓野御小休所」の石碑が建立されています。
中には入れませんが、門よりその石碑を確認できます。
「甲州街道 古道入口 はらぢみち」の碑の横の草道がはらぢみちの入口です。
はらぢみちに入ってすぐに馬頭観世が三基祀られており、両脇が道標になっています。
一つは側面に「右 かうふ道 左はらぢ道」と刻まれ、もう一つは「左りはらみち」と刻まれています。
かうふ道とは甲府道で「はらぢ道」「はらみち」は「原路(はらじ)」を指します。
台ケ原宿の入口に「日本の道百選 甲州街道 台ケ原宿」の標識が掲げられていました。
造り酒屋「七賢」の山梨銘醸(北原家)です。寛延2年(1749)の創業。
「七賢」の由来は、北原家母屋の新築の際藩主内藤駿河守より贈られた「竹林の七賢人」の彫刻欄間にちなみ、「七賢」と称することにしたようです。
七賢の前に金精軒があります。
明治35年(1902)創業の元祖「信玄餅」の老舗で、かっては旅籠を営んでいたそうです。
本日のゴール「つるや旅館」に16時50分に到着です。韮崎駅を出発したのが8時35分でしたので8時間15分の歩きでの到着となりました。
新館のつるや旅館の隣には明治初期に創業した旧旅籠鶴屋も残っています。
講札が3枚掲げられていますが、お講は現在も続けられる方々がいらっしゃるというお話でした。