甲州街道歩き旅8日目は甲府駅から韮崎駅までの歩きです。
午前中は曇り空の予報でしたが、結果的には朝から強い日差しの中を歩くことになり、今回も日差しを避けるため休憩する機会が増えてしまい。余裕があると思っていた韮崎停車の特急には発車時刻ぎりぎりとなってしまい、ヒヤヒヤの状況でした。
2022/7/11(月)単独 行動時間 6時間15分
甲府駅 8:20-竜王駅南10:35-笛吹権三郎像11:00-たわらや食堂(昼食)12:30~13:00-塩崎駅入口13:05-韮崎駅14:35
身延道追分に「西 志んしゅうみち」「南 みのぶみち」と刻まれた道標(復元)があります。鰍沢を経て身延、更に東海道の岩淵に至るところから「駿州往還」とも呼ばれた道です。
法輪寺の境内には武田有義の墓とされるお地蔵があります。
叩けば金磬(きんけい)の音がしたところから「かんかん地蔵」と呼ばれた地蔵です。
荒川橋手前に旧荒川橋と旧貢川橋の親柱が保存されていました。
左が旧荒川橋(大正15年)、右が旧貢川橋(昭和6年)に建設された橋の親柱です。
かっては、昭和37年(1962)に廃止しとなるまではこの橋上を路面電車が走っていたそうです。
2時間ほど歩いて暑さしのぎの休憩スポットは、休館日だった山梨県立文学館の裏手にある日本庭園でした。
木陰で10分ほど休憩です。
向って右に天明元年(1781)建立の日蓮大菩薩五百遠忌碑があり、左に天保二年(1831)建立の日蓮大菩薩五百五十遠忌碑があります。
遠忌(おんき)とは五十年毎に行う宗祖の回忌法要のこと。
「竜王新町下宿道祖神」文政七年(1824)の建立。
ここは往時竜王新町下宿村の寄合場であったそうです。
浄土宗必得山称念寺の境内にある「くり抜き石枠井戸」です。一枚岩をくり抜いた石枠の井戸で、ここを往来する旅人が休憩したところから「お休み井戸」とも呼ばれたようです。
称念寺の境内にある六地蔵尊は造立年代は不明ですが、寛永年間(1624~1644)に赤坂諏訪神社付近に創建された地蔵院の本尊であったと伝えられています。
巨大な自然石に「南無阿弥陀仏」と刻まれた名号碑は無縁者供養のために安政年間(1854~1860)に建立されたもの。
赤坂は名の如く赤土の坂で、雨や雪が降るとぬかるみ行き倒れの旅人も多かった。
竜王新町の諏訪神社の境内には「諏訪神社秋季御柱大祭」の御柱が立っています。
右隣に赤坂稲荷神社があります。
下今市の町並みはなまこ壁の土蔵をあちこちで見ることが出来ました。
曹洞宗天真山自性院、参道の石畳は明和二年(1765)敷設のものが大切に守られている。
明治三十六年(1903)中央線敷設当初に架橋されたレンガ造りの架道橋がカラフルにペイントされて健在です。
街道沿いの志田には荘厳な旧庄屋の建物がひときわ目を引きました。
船形神社の入口には石造の明神鳥居といわれる形式の室町時代前期応永4年(1397)建立の鳥居がある。
かっては、釜無川沿いの古墳上に祀られ、その石室が船形のように見えたことから船形神社と呼ばれるようになった。
塩川橋を渡ります。
天気が良ければ正面に鳳凰三山や甲斐駒ケ岳、南側には富士山も大きく見えるはずですが残念ながら今日も全く目にすることは出来ませんでした。