甲州街道の歩き旅も7日目になりました。
今回の区間は、ほぼ下り坂のため割合楽な歩きができると思っていましたが、お昼を過ぎても厳しい日差の中、暑さ疲れで日陰を求めて休憩することも増えることになってしまいました。
2022/7/2(土)単独 行動時間 7時間20分
勝沼ぶどう郷駅 7:50-勝沼宿本陣跡8:20-笛吹権三郎像11:00-かどや食堂(昼食)11:30~11:55-石和本陣跡12:10-甲府駅15:10
自宅を早朝に出て、ここ勝沼ぶどう郷駅に到着。
早速、甲州街道の旅スタートです。
駅から20分ほどで街道に合流。
勝沼宿本陣跡横にある見事な「槍掛の松」は見事でした。
本陣に大名や公家などが泊まった時に、その目印としてこの松に槍を立てかけたとされる老松です。
江戸時代から明治期に建てられた商屋の萩原家住宅です。
旧甲州街道に面し手前が東蔵で東店舗兼主屋そして西店舗と続いています。街道沿いでひと際目立つ家並になっています。
勝沼富町の甲州ブドウ(甲州市指定天然記念物)の巨木です。
老齢化したブドウは切り替えられるため古木が存在する例は極めて少ないようですが、このブドウは大正時代に植えられ樹齢が100年以上経った今も見事なブドウをたわわに実らせるようです。
竿の部分が自然石でできた珍しい常夜燈がありました。
隣りには、丸石道祖神があります。
ここにも丸石道祖神が祀られており、奥には常夜燈もあります。
栗原の天神社の前にも多くの丸石が乗った道祖神がありました。
勝沼に入ってから、このような道祖神を頻繁に見かけます。
また祠の前には左右に御神燈もありす。
笛吹権三郎の像が笛吹川の護岸下にありました。笛吹権三郎は洪水で流された母を日夜探し求め、母の好きだった笛を吹きながらさまよい歩き、疲労困憊の極みに達しついに川の深みにはまって亡くなりましたが、その後、夜になると権三郎の笛の音が河原に響き、いつからか流れを「笛吹川」と呼ぶようになったといわれています。
鵜飼山遠妙寺
謡曲「鵜飼」発祥の地で、境内には鵜飼堂・供養塔も有るようです。
立派な仁王門の、力強い仁王像が印象的でした。
宝暦十一年(1761)信州高遠城主内藤大和守が参勤交代のため、初めて石和を通行するにあたり、仲町の後藤甚兵衛に本陣を命じたことがはじめとされようです。
明治十三年(1880)の大火により焼失し、現在は土蔵が残るのみです。
信号山崎三差路が青梅街道の追分です。(青梅街道側から甲州街道を見ています)
内藤新宿で甲州街道から別れ大梅、大菩薩峠を経て再びここで合流する青梅街道は甲州裏街道として賑わった全長約132Kmの街道です。
甲府駅に向かう途中、舞鶴城公園に立ち寄りました。
16世紀末武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された甲府城の一部が復元され公園として開放されています。
写真は鉄門(くろがねもん)ですが、この日は公園内の人影もまばらで閑散としていました。
甲府駅で特急券を購入し、時間待ちの間、駅の北側にある甲府市藤村記念館(入館料無料)を見させて頂きました。
この建物は当時の県令(知事)であった藤村紫朗が奨励した擬洋風建築で、明治八年(1875)に建てられた旧睦沢学校の校舎をここに移築・復元したものです。