甲州街道の歩き旅5日目です。今回は猿橋駅からなので笹子峠越えは無理と思い笹子駅をゴールとしました。
梅雨時で思い通りの日に出掛けられず、月曜日になってしまったため下初狩宿の本陣跡である旧奥脇本陣住宅も見学出来ず、少々実のない歩きになってしまいました。
2022/6/13(月)単独 行動時間 8時間10分
猿橋駅 8:50-大月駅前10:00-源氏橋11:45-初狩駅入口12:25~12:45-笹子駅15:00
猿橋駅からほど近くに青面金剛王と刻まれた庚申塔があります。
いつ建立されたかは不明ですが、十辺舎一九の「諸国道中金之草蛙」の挿絵にも描かれているという石塔です。
国道20号から旧甲州街道に入るとすぐに前方に岩峰の岩殿山が見えてきました。
遠方の中央奥には滝子山も見える好展望地です。
駒橋宿の厄王大権現です。
境内に大きな石(右)がありますが「平和祈願の石」ということです。
左の碑文に太平洋戦争の大月空襲で桂川に爆弾が落ち、大石を吹き上げたが、霊験によってその石での被害はなく、その石を平和祈願の石と名づけここに祀ったとあります。
旅籠の橿屋跡です。
門柱に屋号「橿屋」とあります。
立派な土蔵が印象的でした。
甲州街道と富士山信仰者が参る富士街道の追分に道標が立ち並んでいます。
中央が文久二年(1862)建立の道標で「右甲州道中 左ふじミち」と刻まれています。
また、左手には文政十三年(1830)建立の常夜燈も見られます。
下花咲の本陣を勤めた星野家住宅(国重要文化財)は、入口に「しばらくの間、見学は休止とさせて頂きます」の表記があり残念ながら見学はかないません。
かっての旧道でも今は行き止まりになっている道の入口に馬頭観音、庚申塔、地蔵尊などが40ほどが並んでいました。
これだけ集まると壮観です。
そして、その石仏・石塔群のすぐ先に、明治二十七年(1894)建立の廿三夜塔があります。
小さく「村内安全」と刻まれているのが印象的でした。
笹子川に架かる源氏橋を渡ります。山裾を走る列車の向こう側を歩きますが車も通ることがなかったため、木漏れ日の中をのんびりと歩くことが出来ました。
国道20号に合流してすぐに100K1のキロポストがありました。
20号でも100K超えです。
下初狩宿の本陣跡である旧奥脇家住宅です。
入口に屋号の「みどう」が掲げられてていました。
下初狩と中初狩の境になっていた宮川に架かる宮川橋からは山間に富士の頂きがわずかに望める場所で、宮川橋の一目富士として旅人に評判だったようですが、残念ながら今日は姿を見せてくれませんでした。
天和二年(1682)、江戸の大火で焼け出され、初狩に住む実姉を頼り半年間暮らした松尾芭蕉が詠んだ「山賊の おとがいとずる 葎(むぐら)かな」の句碑があります。
白野宿の宝林寺への参道入口の萬霊塔のある角が今泉本陣跡、右手が天野脇本陣の跡のようです。
稲村神社の境内にはこんな根元から三本が融合した大杉があります。
それぞれの幹はそう太くはないものの三本集まると巨木です。
境内にはこんな「合体道祖神」という、 男根女陰両体の自然石の道祖神も祀られています。
笹子駅ホームからは右奥に笹子雁ヶ腹摺山と思われるピークが確認できますが、笹子峠は山頂からの鞍部でしょうか?
次回はあの峠超えです。