中山道歩き旅の3日目は改めて横川駅から坂本宿を歩き、碓氷の峠越えへの道です。
陽が長い時期であれば出発地は松井田あたりから峠越えが出来たでしょうが、冬場は陽も短いので宿泊した国民宿舎裏妙義の送迎バスにて横川駅に降り立ち、昨日に引続き再び坂本宿を巡りながらの旅スタートです。
国民宿舎裏妙義の送迎バスでここ横川駅まで送っていただき、7時半に軽井沢宿を目指し歩き旅スタート。
歩き始めるとすぐに猿の群れが町中を自由に歩き廻っている光景を目にする。近づくと民家のベランダとか屋根を移動し逃げていく。
近くの住民が爆竹で威嚇し追い払っていたが、住民にとっては甚だ迷惑な猿たちだ。
昨日歩いた坂本宿を抜け、国道18号が大きく膨らんで回り込むのを直線的にバイパスするように歩き18号に上がって来ると、道の反対側に特徴的なあずまやの横に峠道への入口があった。
峠の入口から10分ほど歩くと、堂峰番所の跡になる。
関所破りを取り締まった番所があった所で、奥には関門の礎石が今も残っている。
これは「柱状節理」でできた岩壁。
刎石とは火成岩が冷却・固結するとき四角または六角の柱状に割れたもので、山が刎石山と命名されている通り、この付近の道はこの刎石がゴロゴロしており歩きづらい。
付近には大きな南無阿弥陀仏の碑や大日尊の碑が並んでいる。
覗まで登ってくると南側の視界が開け阪本宿が一望できる。
ここが覗と呼ばれているのは昔からこんなに眺めが良かったからでしょう。
ここは、掘り切りと呼ばれる場所で、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を、松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとして、街道の尾根道を狭く掘って防いだ所ということです。
堀り切りを過ぎると落ち葉の上を歩く気持ちよい道になり、頭の上の方に南向馬頭観音があります。
寛政3年(1791)の建立というものです。
続いて、すぐにこの北向馬頭観音がありました。
こちらは、少し新しい文化15年(1818)の建立ということです。
山中茶屋は峠の真ん中にあった茶屋で、明治始めごろまで13軒ほどの茶屋があり、往来する人でにぎわっていたそうです。
明治期には学校もあったようですが、今は林が広がって静寂に包まれています。
12時半にようやく碓氷峠に到着。
近くの茶屋の見晴亭にてゆっくりソバをいただく。
昼食後、丁度県境に位置するこのめずらしい神社に出向く。
この参道を上がると左側に長野県側の熊野皇大神社があり、右側にの馬県側の熊野神社があるというものです。
こちらが、長野県側の熊野皇大神社です。
一方、こちらが群馬県側の熊野神社です。
同じ境内に違う神社が二つあるのは何とも奇妙なものです。
碓氷峠の見晴台も長野県と群馬県の県境になっている。
群馬県側はもちろん正面に妙義の山々を望むことが出来ます。
丁須の頭も確認できます。
そして、長野県側にはもとろん浅間山。
左手に黒斑山。
左側の低い小さな山は離山です。
空気が澄んでいれば八ヶ岳や南アルプスもはっきり見えるはずですが、今日は八ヶ岳のシルエットしか確認できません。
見晴台での展望を楽しんだあと、いよいよこの碓氷峠遊歩道入口の案内に従い軽井沢を目指す。
下山中に珍しくキツツキを見つけ撮影したが逆光のため何の鳥かわからない。
山を歩いていても滅多に出会わないので、しばらく観察させていただいた。
中山道沿いに軽井沢ショー記念礼拝堂があるため、立ち寄って見ましたが年末のためか閉まっておりました。
いかにも軽井沢らしい歴史のありそうな写真館も目を引きました。
軽井沢銀座は年末でも結構賑わっていました。
こんなところまで中国人観光客と思われる人達をたくさん見かけ、時代の変化を感じました。
15:35 に軽井沢駅到着です。
結局、碓氷峠の茶屋での昼食45分間を含め、横川駅から7時間5分の歩き旅になりました。
GPSログ記録で17.2Kmの距離でした。