先月は高崎宿までの歩き旅で終えたので、この年末は2泊3日で高崎から軽井沢までの歩きを実施しました。
陽が長ければ1泊2日の行程でこなせる距離でしょうが、この時期は碓氷峠の山越えもあるので無理をせず2泊3日とし、初日は安中のビジネスホテル宝泉安中館、2日目は横川近くの国民宿舎裏妙義に宿をとりました。
まずは1日目の高崎から安中までの歩き旅です。
新幹線で高崎駅に降立ち中山道歩き旅をスタート。
時刻は8:15でした。
最初の見学スポットはこの高崎城跡です。
家康の命で、井伊直政が慶長3年(1598)にこの高崎に城を構えた。
そのお城は今はもちろん見ることは出来ないが、大きなビルが立ち並らぶ中に乾櫓(奥)や手前の「東門」が復元整備されて当時の姿を伺い知ることができます。
高崎市景観重要建造物に指定されているこの山田家(旧山源漆器店)は、明治13年の大火の後、この店蔵と主屋もその頃建て替えられた。
昭和37年、都市計画道路の整備に伴い多くの建物が建て替えられ、土蔵造りの店蔵が失われていったが、そんな中でこの山田家は、曳き屋をして残された数少ない例ということだ。
重厚感溢れる漆喰の塗り壁を黒く塗った外壁に、2階の2つの窓に付けられた防火扉が大変印象的です。
天明七年(1787)にここ大間々に醤油醸造業を営んだのが始まりと云う岡醤油が街道沿いに昔の面影そのままの姿で営業をしていました。
テレビの旅番組や雑誌、新聞でも取り上げられたり、映画のロケ地としても使われたりしたそうです。
醤油を買って帰りたいとも思いましたが、歩き旅では荷物になるため見るだけとしました・・
烏川に架かる君が代橋と云う名前が気になっていましたが、この名は、明治11年に明治天皇が北陸東海行幸の時、馬車で木橋を渡られたことを記念して命名されたと云うことです。
ここにある君が代橋親柱は、昭和6年にその橋が木橋から鋼橋に架け替えられたときのもので、その後インターチェンジ建設の折、君が代橋も新たに架け替えられたためここに移設されたと云うものです。
信州街道分去れ(わかされ)の道標は国道406号との分岐にありました。
判別しずらいですが、ひらがなで右「はるなみち」左「くさつみち」と刻まれている。
ここは左の中山道くさつみち方面へ。
高崎宿と板鼻宿との間に設けられた、上級武士や公卿の喫茶や昼食などのために用いられた休憩施設です。
休息をとる座敷は8畳2室で、手前が上段の間、奥が次の間です。
上段の間には違棚、床の間、書院が設けられています。
江戸から28里(約112Km)に位置する一里塚がこの藤塚の一里塚。
碓井川の土手下に残っています。
板鼻宿に双体道祖神がある。
案内板によるとこの道祖神は寛政4年(1792)のもので祝言形(夫婦和合)。
台座に「当駅より京へ107里3丁、江戸へ21里半町、日光へ37里、善光寺へ37里、榛名山へ5里、妙義山へ4里半、加州金沢へ92里半」と旅程が刻まれているということですが、残念ながらまったく判読出来ません。
板鼻本陣跡になっている安中市板鼻公民館の奥に、この皇女和宮資料館がある。
本陣の書院に孝明天皇の妹・和宮親子内親王が、仮の宿として宿泊されたそうです。
この資料館の見学は平日の午前9時から午後4時までということで、残念ながら見学することは出来ませんでした。
この付近に見られるのが、板鼻堤用水路です。
綺麗な水の流れが印象的でした。
明治44年に建てられたものを改修整備したもののようですが、良く整備されており内部で展示資料を見学することも出来ました。
旧碓氷郡役所から少し歩くと、この郡奉行役宅があります。
隣にある旧安中藩武家屋敷と共に古図面などを基に当時の姿に復元修理したそうです。
オカッテやナガシバも復元されており、むしろ他では余り見られないこちらが興味深かった。
そして、隣にあるのがこの4軒が続く武家長屋です。
独立した家屋に住めるのは一部の上級武士だけで、藩士の大部分はこのような長屋住まいだったようです。
前庭は庭園風になっていますが、実際には藩士の生活のために大切な畑として利用されていたということです。
中にこんな生活用品の展示も多くありました。
武家長屋の見学に続き新島襄の旧宅も見学。
そして、国道18号線沿いのモスバーガーを見つけてようやく遅い昼食にありつく。
再び旧道に戻り少し歩くと、この原市の立派な杉並木を見ることできました。
天保の頃には700本を越えていたということですが、今後も永く残して欲しいものです。
八本木地蔵堂は外観的にはどこにでもありそうなものでしたが、御開帳が100年に一度と書かれていたので興味深く地蔵堂内を覗いて見たところ、その本尊は金箔を施した見事なものでした。
案内板には造像された年代は室町時代初期とみられるとあり、思いほか歴史あるものであることに驚きました。
最後に日枝神社にて参拝・見学した後、今日の宿泊先であるビジネスホテル宝泉安中館に到着です。
時刻は15:35で、途中、昼食のための休憩の20分を含め7時間20分を要しました。
GPSでの記録歩行距離は23.1Kmでした。