東海道53次の歩き旅もいよいよ最終回となりました。
今日は最後の1日で草津宿から大津宿へ、そして三条大橋までの約25Kmの歩きになります。
ビジネスホテルHIBARIで朝食が休みということで朝の食料をコンビニで調達してから、この東海道と中山道の分岐となっている高札場に到着した。
ここから今日の歩き旅再開です。
昨日は気づきませんでしたが、昭和10年ごろ撮影した草津本陣の写真が掲示されていました。
一見すると現在の本陣の様子とそんなに変化が無いようです。
街道交流館の先に太田酒造道灌蔵があります。
あの太田道灌を先祖に持つ酒蔵のようです。
朝食はこの路地の奥にある込田公園のベンチで済ませました。
街道沿いにある立木神社では丁度今日お祭りがあるようで、朝から関係者の方々が準備をされていました。
神輿はいずれも装飾豊かで立派なのものです。
「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれる軍事・交通の要衝であったことから戦乱の舞台となった橋である。
今はこの瀬田川でボートの練習や憩いの場として市民の皆さんに楽しまれている様子です。
膳所神社に来ると今日はここでもお祭りのようで、大きな神輿が町中に繰り出す様子を撮影している最中でした。
毎年5月3日に膳所神社、篠津神社、石坐神社、和田神社、若宮八幡の五社のお神輿が揃って膳所町内を巡る大きなお祭りのようで、タイミング良く出会えたのは幸運でした。
そのあと膳所城跡公園に立ち寄りました。
膳所城は、徳川家康が関ヶ原合戦のあと造らせたお城で、琵琶湖の湖水を利用した天然の堀を巡らせた水城は実に素晴らしかったようです。
粟津の原で壮絶な戦死を遂げた武将木曽義仲(1154-1184)をここに葬ったことに由来しているが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-1694)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときの遺言でここに墓が立てられたそうです。
これが境内にある芭蕉翁の墓です。
大津宿に入り最初に曳山展示館を見学させていただきました。(無料)
大津祭りの曳山13基がパネルで展示紹介されています。
館内の曳山は原寸大の模型ですが、2階から からくり人形の動きをまじかに見ることが出来たのは良かった。
町中で昼食を済ませ再び旧東海道を歩いていると前方から普通の電車が向かってくるので驚いた。
路面を走る電車としては長すぎると思うが・・・
地元の人は慣れているので何とも思わないのだろうが可成り危険な印象です。
左手にある明治13年に開通した旧東海道線の逢坂山トンネルは大正10年に使われなくなったが、トンネルのここは当時の状態で保存されており、時代の流れを身近に感じることが出来る。
関蝉丸神社は京阪京津線の踏切の傍に鳥居がある状況で面白い構図になっている。
神社の狛犬が珍しいカラーバージョンで、いかつい顔でも可愛らしさを感じる。
街道を歩いていると車石の展示があちこちで見られるようになる。
江戸時代、逢坂山の峠道に牛車の車輪を通すわだちを掘り、二列に並べたて敷き詰め、峠を越える手助けとした石だ。
全長12Kmもあったと云うから驚きだ。
山科駅を過ぎた当たりで昔ながらの静かな面影を感じられるようになる。
距離がありすぎて足を進める気にはなりませんでしたが、奥の様子には興味があります。
蹴上浄水場は今がつつじの見頃と云うことで丁度今日5月3日から一般公開されていました。
入場時間を過ぎてしまっていたので中には入れませんでしたが、咲き揃うつつじを鑑賞しながらの歩きとなりました。
白川橋のたもとに延宝6年(1678)に建てられた道標がありました。市内に現存する最古のみちしるべだそうです。
「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」と彫られています。
いよいよゴール三条大橋到着です。
生憎、ゴールデンウイークと云うこともあり橋の上には大勢の人で溢れていましたので写真も瞬間を狙って撮った状況でした。
鴨川に架かる三条大橋は天象18年(1590)、秀吉によって完成されたというものですが、今は勿論立派なコンクリートの橋です。
ただ、この擬宝珠は往時のままなので面影を偲ぶことが出来ます。
橋の下は憩いの場としてベンチなどが設けられていますので、ここにも大勢の人がいますが、しばらくここで感慨に浸りながらのんびりとした一時を過ごしました。
連休中は京都も混雑すると思い、京都観光は別な機会にすることとし今日はそのまま自宅へ帰るため、このあと地下鉄で京都駅に向かい帰宅の途につく。
東海道53次気まま旅をスタートしたのが2010年3月、それから4年2ヶ月 25日間を掛けてようやく品川から三条大橋までの歩き旅を終えました。
最初はナビもなく何度となく道を間違えたりしましたが、箱根宿から事前にルートを入力しナビ頼りで歩くことで道間違いを解消し安心して歩けるようになりました。