東海道53次歩き旅最終回2日目は水口宿あや乃旅館から再開。旅館でしっかり朝食をとり、まず宿内の見どころを見学すると行きたいところだが、どこもオープンは10時からなのでまずは水口城跡に行ってみた。
水口城は明治維新後廃城となり、現在本丸跡地は高校のグランドになっている。
ここ大手門口の出丸部に、平成3年に建てられた模擬の櫓があり水口城資料館として利用されているが、今は開館前なので門前まで行って外部を確認するだけとなってしまった。
水口城は明治維新後廃城となり、現在この右手の本丸跡地は高校のグランドになっている。
小坂町の街道沿いにこんな力石が展示してありました。
江戸時代から伝わるもので、浮世絵師国芳が錦絵の題材に採った石だそうです。
近くに百間長屋跡がある。
お城の郭内にあった百間(約180m)にも及ぶ棟割長屋には下級武士が住んでいたそうですが、南側(郭内)に玄関があり、東海道に面した北側は出入口がなく、町場とは自由に往来できなかったそうです。
郭内の城や藩邸を守るための構造だったようです。
長屋には往来に向かって与力窓と呼ばれる小さな窓があるが、この窓から東海道を往来する物売りから物を買ったと云うことです。
この真徳寺の表門はもと水口城の郭内に所在した家臣の屋敷の長屋門を移築したもので、旧城下に残る数少ない武家屋敷遺構として残されている。
この東海道横田渡常夜燈は文政5年(1822年)増加する旅人の目印となるよう、野洲川(かって横田川と呼ばれていた)の川岸に地元や京都・大阪を中心とした万人講中の寄進で建てられたもので、道中最大級の規模。
横田橋を渡って湖南市に入り しばらくすると正面に大砂川のトンネルが見える。
この隧道の上には大砂川が流れている。
これがいわゆる天井川と呼ばれるもので、私も初めてお目にかかります。
隧道の上の川は水は流れていませんでしたが、護岸は立派な堤防で守られていました。
「うつくしの松」の自生地は街道から 1Kmほど離れた場所にありますが、国の天然記念物に指定されていることもあり、是非見なければと足を延ばす。
根元からいくつにも分かれた枝が伸びた珍しい松で、美松山の山肌に群生しています。
ようやく石部宿の中心部に到着。
この宿場を紹介している無料の休憩所「いしべ宿驛」の中で昔の宿場の図などを見学。
近くには小島本陣跡の石碑があります。
全盛期には216軒の商屋や62軒の旅籠があったといことですから相当大きな宿場だったようだ。
丁度昼時でもあるので近くの田楽茶屋で昼食と思ったが、中は地元の人たちで満席。
お昼はもう少しおあずけ。
旧東海道沿いにひときわ大きな木造の建物がある。
江戸時代、旅人に薬を売って栄えた胃腸薬の和中散本舗の建物だ。
全体が国の史跡、庭園は国の名勝で、現在も住居として使われている。
事前予約制で見学もできるようだ。
手原駅近くまで来ると古い商屋が並んでいる。
それぞれ屋号が掲げられており往時を偲ぶことが出来る。
この家は里内呉服店とあった。
手原駅近くの食堂で遅い昼食を済ませ、ようやくこの草津宿の追分道標に着いた。
ここが中仙道と東海道の分岐点で傍に高札場もある。
そして草津宿本陣を見学。
この湯殿は主客専用のもので、屋外で沸かした湯を運んで使うもののようです。
近くの草津宿街道交流館との共通券を購入したので、最後に交流館にも立ち寄りました。
宿場の俯瞰模型からも宿場の大きさがわかります。
浮世絵の摺り体験コーナーもあり浮世絵の摺り工程を体験させていただきました。
そして今日の宿のビジネスホテルHIBARIに17:20到着。
朝7時40分の出発でしたから9時間40分ほどの旅となりました。
ナビでの移動距離は30Kmでした。