奥州道中の歩き旅はいよいよ今日が最終日。
昨日、芦野温泉にて英気を養い、今日は芦野宿から奥州道中の終着点である 白河宿の女石追分までの歩きとなる。
白河からの帰宅のことを考えると、今日も足早に見どころをチェックしながらの旅になる。
スタート地点の芦野温泉でGPS電源を入れ忘れたため、実際のスタート地点とズレがあります)
芦野温泉ホテルで朝から薬草風呂や露天風呂でのんびり湯につかり、朝食をしっかり済ませてから宿を出発。
朝食は7時半からということでしたが、実際には早めに準備されていましたので、出発も8時15分となり助かりました。
奈良川を渡ってすぐ左手に川原町地蔵尊があります。
享保一二年(1727)造立の半跏座地蔵で、芦野宿の江戸口を守護している地蔵尊です。
大きな祠の中に祀られており、地元で大切にされている様子がうかがえました。
芦野宿には陣屋や本陣、脇本陣など現存しているものはないようですが、街道沿いの家々の軒先には屋号が表記された石灯籠が設置されており、宿場町としての風情を感じさせる町並みが続く魅力的な町でした。
芦野宿では特に多くの石仏石塔や馬頭観音が見られます。
これは脇沢の地蔵様で右手に地蔵尊、手前に文化三年(1806)建立の馬頭観世音などが並んでいました。
近くには古い五輪塔もありました。
「間の宿寄居」の入口に鎮座していたのが、明和八年(1771)造立の座り地蔵で、隣りには明和九年建立の如意輪観音像の笠塔婆もある。
そして、近くには天保十二年(1841)建立の湯殿山常夜燈がありました。
天文十五年(1546)創建の與楽寺(よらくじ)に向かう参道の階段の途中に延享二年(1745)造立の地蔵座像がありました。
歳月を感じさせない静かなお顔のお地蔵さまでした。
泉田の一里塚までやてきました。
この塚は江戸日本橋から四十四里目で下野國最北端の塚です。
現在は西側の塚のみが残っています。
初花清水です。
石碑の後ろから清らかな水が湧き出ていましたので、置いてあったコップで飲んでみましたが、炎天下の中でこの冷たい水は最高にうまかった。
歌舞伎「箱根権現躄(いざり)仇討」の主人公棚倉藩士飯沼勝五郎は兄を滝口上野に殺され、同じく上野を父の仇としていた初花と夫婦になった、仇を探しているうちに足を病んだ勝五郎はここに小屋を建て療養につとめた。初花は毎朝この清水で化粧を行った。
というのがこの初花清水のいわれのようです。
奈良・平安の初期には、国境の明神に男女二神を祭るのが通例だったそうで、白河市と栃木県那須町の県境に二社並立している神社の通称として境の明神と呼ばれている。
松尾芭蕉の奥の細道俳諧紀行で、みちのくの第一歩を記した場所として句碑や歌碑が建立されているとともに、大名家や商人から多くの燈籠が寄進されていることから、陸奥・下野の国境である境の明神として重要な場所であったことがうかがえる。
白河市教育委員会の案内板です。
少し先の交差点を左折すると白坂駅というあたりまでやってくると、遠くに那須連山の山並みを一望することが出来ました。
山好きにとっては最高のパノラマ展望で、茶臼岳から三本槍岳までの昔の登山の思い出がよみがえりました。
白河市教育委員会の戊辰の役古戦場(ぼしんのえきこせんじょう)には
「市内の九番町の西端、ここ松並にあり、南は水田が開け、北は稲荷山の小丘を慶応四年(1868)奥羽諸藩鎮定のために薩長大垣等の西軍が大挙して三方から白河を責めた。東軍の会津、仙台、棚倉の兵は、白河の南西の山に陣し、これを迎え撃った。この地は白河口での激戦地で、閏四月二十五日、会津兵は一旦西軍を退けたが、五月一日、再び来襲したので西郷頼母、横山主税等が稲荷山に陣し迎え撃ったが、激戦、数十合、弾尽き刀折れ、戦死者数知れ遂に敗退のやむなきに至り小峰城は遂に落城、城郭は消失した。戦後両軍は、各々戦死者の碑を建て、霊を慰めた。
この白河街道の左曲する南側に、長州藩三名大垣藩三名の墓、北側に会津藩戦死者の墓と会津藩主松平容保の題字の鎮魂碑がある。」 とありました。
四辻の道標です。
この道標は江戸時代後期の嘉永二年(1849)に建てられたものの複製で、案内によると
(西側)左 せんだい あいづ
でハ(出羽)ゑちご(越後)
(北側)右 日光 江戸
たなくら いハき 水戸 道
(南側) 嘉永二年己酉四月
と刻まれたものです。
阿武隈川に架かる田町大橋を渡ります。
ここを渡ればあと1Kmもなく奥州道中の終着点、女石の追分に到着です。
女石追分に到着です。
ここを左方向に直進すると会津越後道、右手が仙台松前道になります。
会津越後道の方に少し直進すると、新しい道標が設置されていました。
これは失われてしまったものを当時の文献などを基に復元したもので、
右 仙たい松前道
左 会津ゑちご道
と記されている。
傍の白河市教育委員会の案内板には「奥州道中分間延絵図」第三巻も記載され往時の様子もうかがえます。
この地にて奥州道中の歩き旅も終了となります。
近くの小峰城址も見学しようかと思って居ましたが、やはり時間が足りずこのまま帰宅することとしました。
この白河駅に16時20分着。
スタートしたのが芦野温泉ホテルを8時15分でしたから8時間05分をかけての旅で、この地にて奥州道中歩き旅の終了としました。
本日の歩行距離はGPSログ記録で歩き始めの電源入れ忘れの分を補正して、約26.4Kmという結果でした。