いよいよ今日が中山道歩き旅最終日です。
昨日は高宮宿をスタートして守山宿の手前の野洲のホテルに宿泊しましたが、今日はいよいよゴールの三条大橋を目指します。
野洲からは三条大橋まで35Kmほどの距離になり歩きごたえがありますが、草津追分から先の東海道はは4年前の東海道歩き旅で歩いていますので、今回はひたすら三条大橋を目指すつもりで計画しました。
昨日は野洲の「ホテルタカラ」に宿泊。
朝食は7:00からなので助かりました。
出発の支度をして別棟のレストランで朝食を済ませ7:25に出発。
30分ほどで野洲川を渡りますが、橋の上から左手に広重も描いている「近江富士」と呼ばれている三上山(標高432m)の美しい姿を見ることができました。
ここは守山宿の「うの家」 です。
第75代内閣総理大臣、宇野宗佑氏の生家で、江戸時代末期から明治初期に建てられた主屋、造り酒屋、蔵などを守山市が譲り受け、これを改修して、展示室、ギャラリー、飲食店などとして平成24年からOPENしているそうです。
ただ、今日はまだ開店前でしたので外観を確認するだけでした。
守山宿の本陣跡です。
案内板には「この場所は、本陣(小宮山九右衛門)があったと推定されている場所です。 江戸時代には、問屋、脇本陣、本陣などの役割を果たしました。 文久元年年(1861)十月二十二日、十四代将軍家茂に降嫁される皇女和宮親子内親王が御所から江戸城へ向かう旅程で、この本陣に宿泊されています。 この場所は昭和四十年まで特定郵便局長宅でしたが、平成十六年(2004年)に取り壊されました。」
とありました。
そして、守山の地名のもとになったという東門院守山寺にやってきました。
延暦13年(794)伝教大師(最澄)が延暦寺を開いたとき、東方の鬼門を守るために建立されたと伝えられるお寺です。
この仁王門は室町期建立とされ阿吽の仁王像で、「門出仁王」と呼ばれるそうです。
今宿の一里塚です。
日本橋から数えて128番目の一里塚で、滋賀県で当時の一里塚が実際に残っているのは、この今宿だけのようです。
東海道と中山道が合流する草津追分に到着です。
4年前の5月に東海道歩き旅でこの場に立ちましたので、ここから三条大橋までの東海道は2度目ということになります。
立木神社に立ち寄りました。
4年前は丁度、春祭りのため境内は大勢の人々で溢れていましたが、今日は静かな状況です。
この神社の鳥居の両脇には阿吽の狛犬ではなく牡鹿と雌鹿が控えていましたが、ここでも鹿が出迎えてくれました。
正面には狛犬もありましたが、ここ立木神社は鹿が守り神のようです。
11時45分に瀬田の唐橋を渡ります。
草津追分から2時間5分で、前回より40分ほど早く歩く結果となっています。
お昼はたまたま街道沿いで見つけた中華そば「八真道」(やまと)に入りました。
思わぬおいしさに大満足のラーメンでした。
昼時は過ぎていましたが、結構繁盛しているようです。
蝉丸神社を確認しながら逢坂を登り、東名高速をくぐって山科の追分に着きました。
旧東海道は直進で、左手は大津街道となる分岐になっており、「みきハ京ミち」「ひだりハふしミみち」の道標があります。
ここは京都市と大津市の分岐で、いよいよ京都にはいります。
三条大橋への到着時刻が思いのほか早くなりそうだったので、近くにある平安神宮は一度も行ったことないため立ち寄ることとし、大鳥居までやってきました。
奥には正面の門である応天門 (おうてんもん)が見えます。
そして、表参道である神宮道に入ってから15分ほどで平安神宮の拝殿に到着。
今回の中山道歩き旅も無事完歩できそうであるため、ここで感謝の意をこめ参拝。
神苑も見学して見たかったですが、流石に時間はなさそうなのであきらめる。
17時20分に目的地の三条大橋に到着。
今朝、野洲のホテルを出発してから9時間55分、歩行距離はGPSログ記録で38Kmでの到着となりました。
日本橋をスタートしてから24日目、3年2ヶ月目での達成です。
この後、橋を渡った先の河原町まで歩き、バスにて京都駅に向かい帰宅の途につきました。