先月に引き続き、今回 中山道の歩き旅を一泊二日で高宮宿から最終ゴール地点の三条大橋まで歩くことにした。
2015年2月に日本橋をスタートし3年3か月、累計23日目にして高宮宿から守山宿、そして24日目で守山宿から京都三条大橋まで歩くことになるものです。
米原で乗換え時間は5分でしたが、ギリギリで新幹線から近江鉄道に乗り継ぐことが出来、高宮駅に予定通り到着です。
前回、高宮宿からの帰路は南彦根駅まで歩いてJRで米原に戻りましたので、今回初めてこの駅に降り立つことになりました。
ワンマン電車のため、途中の無人駅では車両の最前部からキップを運転手に手渡しして下車するシステムでしが、ここは駅員もおりますので順当にすべての扉が開き下車となりました。
駅前で支度を整え8時40分に歩き旅スタートです。
最初の立ち寄り地点は多賀神社の一の鳥居です。
石造りの大きな鳥居で、寛永15年(1638)に建立されたものだそうです。
多賀神社は3.5Km先になりますが、参道には四角柱の常夜燈があります。
一丁(およそ100m)ごとにこの常夜燈が建立されているとのことで、参詣者の道案内としていたようです。
円照寺は、明応 7年(1498)の創立。
境内に家康公が元和元年(1615)大阪夏の陣の時に腰掛けたと伝わる「家康公腰懸石」が残されている。
又、明治天皇が北陸東海巡行の往復時に宿泊した際に気に入ったといわれる、明治天皇ゆかりの「止鑾松(しらんまつ)」(2代目)(写真右の松)があります。
ここが、犬上川に架かる無賃橋です。
変わった名前ですが、橋の欄干にある案内板によると『天保のはじめ、彦根藩は増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪、藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに命じて費用を広く一般の人々から募らせ、橋をかけさせた。
当時、川渡しや仮橋の通行が有料であったのに対し、この橋は渡り賃をとらなかったことから「むちんばし」と呼ばれた。
現在の無賃橋(高宮橋)は、昭和7年(1932)に鉄筋コンクリート作られた古い橋である。』とありました。
街道沿いに豊岡小学校旧校舎群が公開されていましたので立ち寄って見ました。
この建物がどうゆうものか全く判りませんでしたが、中央入口にあるパンフレットでおおよその状況が判りましたが、この小学校は昭和12年に地元の古川鉄二郎氏が「国運の進展は国民教育の振興にある」と考え私財60万円(現在の数十億円)を寄贈して建設されたものだそうです。
現在小学校としてでは無く、改修工事が行われて図書館など町の教育や福祉施設として運用されているようです。
続いて、街道沿いに伊藤忠兵衛記念館(入館料 無料)がありましたので、見学させていただきました。
伊藤忠・丸紅の創始者、初代伊藤忠兵衛の旧邸を記念館として公しているもので、土蔵の中や離れでの展示もあり伊藤家の当時の暮らしの一端を見ることが出来ました。
ここに来るまでしらなかったのですが、伊藤忠も丸紅も創始者は同じだったのですね。
江戸時代から続く老舗の料理屋竹平楼の前を通りますが、立派な門構えで気軽に入れない雰囲気が充満しています。
重要伝統的建造物群保存地区の五個荘商人の町並みは中山道から1Kmほど北寄りに入り、少し遠いいですが是非立ち寄って見たいと思っていましたので、寄ってみました。
ここは五個荘商人の本宅を公開している外村宇兵衛家です。
文化10年(1813)に商いを始め、呉服類の販売を中心に商圏を広げ、明治時代には全国の長者番付にも名を連ねた外村家ということです。
白壁の土蔵が連なる街並みが随所に見られ、商人の町を象徴する美しさを見せてくれます。
老蘇(おいそ)の森の奥に、安産の神といわれ広く信仰されている石(おいそ)神社があります。
本殿は天正9年(1581)織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じて造営せしめたものということです。( 国指定重要文化財)
ここが武佐宿本陣(下川家)です。
門と土蔵が現在まで残され貴重な存在になっているようです。
守山宿と武佐宿の間の「鏡の宿」にある鏡神社にやってきました。
本殿は南北朝時代の建築といわれ、重要文化財に指定されています。
本殿に近づけないのは残念でしたが・・・
鏡神社の参道に「烏帽子掛けの松」というものがありました。
承安4年(1174)3月3日、鏡の宿で元服した牛若丸は、この松の枝に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝し、源九郎義経と名乗りをあげ源氏の再興と武運長久を祈願したということです。
参道に松がありますが、明治6年の台風で倒れたためこのような幹だけの姿になってしまったようです。
今朝、高宮駅から歩き始めておよそ9時間が経過し、今日宿泊するホテルがある野洲に向かうため、中山道を外れ18時過ぎに宿泊先の「ホテルタカラ」に到着。
結果的に歩行距離はGPSログ記録で35.1Km、9時間30分の歩き旅を終えました。
明日はいよいよ中山道歩き旅の最終日です。
予定距離は35Kmを超えることになりますが、草津宿から先は東海道となり、丁度4年前に歩いた道でもあるため、ひたすら目的地を目指すことになります。