中山道の歩き旅も21日目となりいよいよ終盤にさしかかった。
今回は加納宿を岐阜駅からスタートし、1泊2日で高宮宿までの約57Kmを歩くことになるが、初日は関ヶ原宿までの28.5Kmとし、歩行予定距離も最も長くなるものでしたが、長良川の「お紅の渡し」を体験するために遠回りするなどしたため、結果的にはGPSログ記録で過去最長の37.4Kmの歩行距離になってしまった。
岐阜駅が今回の21日目となる中山道歩き旅のスタート地点です。
早朝に神奈川の自宅を出てから凡そ3時間後の午前8時15分からのスタートです。
加納宿から河渡宿へ行くには長良川を渡る必要がありますが、中山道の渡しは現在の河渡橋の下流にある「川渡の渡し」が表街道で、裏街道として上流に「お紅の渡し」があり、こちらも栄えていたようです。
この「お紅の渡し」は岐阜市で運営され無料で利用できるということでしたので、大分遠回りになりますが、体験利用のためにやってきました。
渡船場に備え付けられていた白旗を振って対岸の土手の上にある渡船小屋に合図をして知らせるようなので、振ってみましたが、人の気配もなく諦めかけたとき、対岸で手を振る人がおり、こちらの存在に気づき迎えの準備を始めてくれました。
船頭さんが迎えに来てくれて話を聞きましたが、今日は水かさが普段より20cmも多く、運行はしないつもりで赤旗を揚げていたが、こちらの合図に「問題なかろう」ということで迎えに来たと言ってくださった。
昔は木製の船でしたが現在はプラスチック船になって安定性も増したようです。
親切に感謝。
穏やかな流れの中、わずか数分の船旅ですが良い体験をさせていただきました。
長良川を渡って河渡宿を過ぎて美江寺宿に入ると、街道沿いに昔の面影を残す町並みいが見られるようになりました。
美江寺宿本陣はこの石碑があるだけです。
街道沿いにある神明神社では丁度桜が見ごろででした。
川を交通の手段としていた1900年初期ごろは赤坂港には500艘を超える船が往来したといわれますが、現在の町の様子からは、この地にそのような湊があったことなどは想像もできません。
隣りにある赤坂港会館の建物は復元されたもので、内部は資料館となっているということですが、会館は土日のみの開館で残念ながら見ることはできませんでした。
垂井宿の入口の相川はたくさんの鯉のぼりの遊泳が見られ目を楽しませてくれました。
こちらが、小林家住宅主家で国の有形文化財になっている建物です。
当家は油屋を営んでいた宇吉家から小林家が明治14年(1881)に譲り受け、昭和初期まで「亀屋」の屋号で旅籠を営んできた建物ということです。
本龍寺の山門や書院の玄関は脇本陣から移築したものといわれています。
日本橋から112里にある垂井の一里塚にやってきました。
南側の1基のみが現存している塚です。
中山道の一里塚で国の史跡に指定されているのは、この垂井の一里塚と志村の一里塚の二つだけということです。
日没が近くなり岐阜県内ではここにしか残っていない野上の松並木までやってきました。
今日の目的地の関ケ原のホテルはもう少しの距離です。
関ケ原の駅前には最近まで旅館が2軒あったのですが、1軒が廃業してしまったため、予約が取れず、今回はやむなく関ケ原IC近くのラブホテルの「インターサイド城」に宿泊することにしました。
(写真は翌朝のものです)
ここは「神山」という旅館を経営しているようですが、こちらも満室で、ラブホテルで良ければ宿泊OKという事でしたので、ここを予約していおたものです。
ともかく、ホテルは食事もできないので、関ケ原西町から中山道を外れホテルに向かう途中でゆっくり食事を済ませホテルに向かいました。
結果的にホテルへの到着は大分暗くなった19時35分となってしまいましたが、長い歩き旅の一日を終えることが出来ました。
歩行距離はGPSログ記録で37.4Kmで、今日までの中で最長の距離となってしまいました。
トータルの時間は11時間20分でした。