中山道歩き旅の2日目は望月宿からのスタートです。
昨日宿泊した旅館青木荘は鹿曲川(かくまがわ)の畔に建つ温泉旅館で、早朝に温泉でのんびりくつろぎゆっくりと出発です。
望月には今も、昔ながらの旅館を営む店がある。
ここは旅籠「山城屋」ですが、他にも犬神家一族の映画に使われたという井出野屋などがあり、昔の面影を感じ取ることが出来る。
望月の歴史民族資料館を見学したかったが、当然開館時間が9時なので見ることは出来ません。
ここは元々本陣だった跡地に門を新築し、新たに資料館としてオープンしているということだ。
これが、旅籠と問屋を兼ねていたという真山(さなやま)家の住宅「大和屋」です。
天命5年に建築された望月宿最古の建物で重要文化財ということですが、残念ながら中を見学することは出来ないようです。
間の宿茂田井に入ると白壁の美しい建物が連なっている。
ここ武重本家酒造と、他に大澤酒造の2軒の造り酒屋があり、いずれも白壁の建屋が続く美しい街並みのを形作っている。
こちらが武重本家酒造で、国登録有形文化財になっている。
門の軒先に下がっている杉玉はここでは酒林(さかばやし)と呼ぶようです。
毎年新酒のできる年末に、青い杉の葉で作ったさかばやしをつるし、新酒が出来たことを知らせるようですが、元々は酒の神様に感謝をささげるものだったようです。
そして、こちらが大沢酒造です。
この中には「しなの山林美術館」と民俗資料館があり、一般に無料公開されているということなので、声をかけて見学させていただきました。
芦田宿本陣土屋家住宅にやってきました。
本陣でも立派な神社のような造りです。
近くにあった建築用語説明図は大変参考になります。
芦田宿では、文政元年(1804)頃より続く旧旅籠の金丸土屋旅館が今も営業を続けている。
笠取峠のマツ並木は、慶長7年(1602)頃に、小諸藩から下付されたアカマツ数百本を芦田宿の西方1Kmから笠取峠にかけて植えつけられ、以来、街道の難所であるここ笠取峠を行き交う旅人の心を癒し、長く時代の変遷を見守ってきました。
今では、このアカマツを後世に継承していくために、保全に力を入れているようですが、いつまでもこの美しい景観を残して欲しいものです。
笠取峠から少し下がった所に、峠の茶屋があります。
丁度昼食の時間でもあり、他に何もないここに食事処があるのは好都合でした。
ここで、食事をとりながら30分ほど休憩です。
峠から下り始めると、5分ほどで中山道原道の道標があり、中山道は車道を離れ草原の道になり、再び車道に合流しまた原道に入ることを何度か繰り返し長久保宿に向かいます。
長久保宿に入ると、すぐに直線的な美しい街並みとなり、右手に資料館として利用されている「吾一庵」があります。
内部を見学することが出来ます。
ここは元々は兼農の馬の取り扱いをしていた家で、江戸末期から明治初期の建物ということですが大変しっかりしています。
吾一庵の入口を入ると、この土間が奥まで続き、主屋の後方にある馬屋に、馬もこの土間を通って出入りしていたようです。
そして、「吾一庵」のすぐ先の左手に長久保宿歴史資料館になっている「一福処濱屋」があります。
明治初期に旅籠として建てられた建物を歴史資料館として利用しており、内部を無料で見学することが出来ます。
中にこの写真が展示して有りました。
写真は明治の初期に、この付近の街道を写したものと云うことで、通る人の姿など興味深く拝見させて頂きました。
長久保宿本陣は代々石合家が勤め、表門と御殿が中山道における本陣最古の建築とさ現存しています。
石合家には江戸時代初期からの古文書や高札、長久保宿史料などが残されておりますが個人宅のため見学は出来ません。
長和町指定有形文化財に指定されています。
江戸初期から昭和初期まで酒造業だった竹内家住宅「釜鳴屋」です。
現存する町屋としては県内最古といわれており、母屋の屋根の端部に「本うだつ」が見られます。
妻壁を高く突出させ小屋根を乗せた「本うだつ」です。
和田宿へ向かって街道を歩いていると、何ともめずらしいミミズの碑がありました。
この地、蚯蚓(きゅうういん)地区の希望で祭られたということですが、この碑のミミズの姿に思わず笑みがこみあげます。
昔はミミズの干物を解熱剤として使っていたようです。
近くにはミミズを蚯蚓大権現として祀っている蚯蚓神社があるようです。
和田宿のなかにあって、規模の大きい旅籠だった建物を昭和56年に修復工事が行われ、現在は資料館「かわちや」として公開されているものです。
出桁造りに格子戸がついた代表的な建造物で国史跡に指定。
1階には上段の間、次の間など格式の高い部屋があったが、2階は板の間の広間になっており、旅人も雑魚寝のような状態だったのでしょうか?
本陣の建物は大名などが宿泊する「座敷棟」と、本陣の所有者が生活する「居室棟」に分かれていたようで、復元されたこの建物は「居室棟」にあたるものということです。
住居棟といっても、建坪132坪で部屋数は延べ14室という見事なものです。
和田宿での宿泊は、たまたま宿泊希望のため電話をした本亭旅館がすでに廃業したということでしたが、現在は他の場所でペンションをしているので、迎えに来てもらうことにしました。
結局、すこし待ちましたが、写真の一里塚跡の少し上で合流し、ペンションに向かうことになりましたので、2日目の歩き旅はここまでとなります。
結局、2日目はGPSログデータで26.9Kmの歩きでした。
ペンションは事前に場所は聞いていなかったので近くにあるのかと思っていたら意外と遠く、どちらか云うと白樺湖に近く車で20分ほどの「サイレントスノー」というペンションでした。