2泊3日の中山道の歩き旅も今日が最終日になる。
宿泊したペンション「サイレントスノー」の主人に昨日の終了地点の一里塚跡まで送ってもらい、今日はここから下諏訪宿までの歩き旅になります。
本亭旅館のオーナーが始めたペンション「サイレントスノー」にお世話になりました。
国道142号の一里塚の入口まで送迎してもらい、ここから歩き旅再開です。
入口から100mほど山の中を戻ると、江戸から51番目になる唐沢一里塚がある。
この塚は中山道の一部路線変更で、天保2年(1831)の絵図面ではすでに路線から外れていた塚ということですが、塚は二基ともほぼ原形をとどめたものだということです。
男女倉口(おめくらくち)の少し上まで舗装道路を歩き、ここから中山道は山道になります。
和田峠に向かって緩やかな登りが続きますが、草地の道のため気持ちよく歩けました。
途中で車道に合流しますが、ここに接待(和田峠施行所)の茶屋があります。
江戸の呉服商かせや与兵衛が、道中の難儀を助けようと文政11年(1828)に碓氷峠とこの和田宿に施行所を造って11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施したということです。
中はただの土間だけの造りのようで、旅人が冬場に和田峠を越える苦労の様子が想像できます。
標高1600mの古峠(和田峠)に到着です。
ここには御嶽山権現碑や馬頭観音碑があります。
ここからは御嶽山が見えるようですが、今日は駒ヶ岳は確認できるものの、残念ながら御嶽山は雲の中でした。
地蔵菩薩像はだいぶ風化し、いかにも歴史を感じさせるものです。
旅人が杖をおいて休んだ場所を立場(たてば)と云うようですが、ここがかって四軒もの茶屋があった西餅屋茶屋跡です。
今は何も残っていませんが、明治35年前後の復元図がこちらだそうです。
今では考えられないほど沢山の家屋があり賑わっていたようです。
中山道沿いに、諏訪大社下社の木落し坂があります。
今年は幸運にも7年に一度行われるという大祭にあたる年です。
山から曳き出された直径1メートルほどの巨木が、この急な斜面を下る様子は影像で見たことはありますが、傾斜角35度の斜面をまのあたりにすると圧巻です。
ここは注連掛(しめかけ)というようですが、 木落しを終えた御柱に注連縄(しめなわ)を張る場所ということで、「山出し」された巨木が並んでいました。
下社の御柱はここから「里曳き」が始まるようです。
諏訪大社下社春宮に到着です。
今回の中山道旅もまもなく終了です。
最後に、この立派な拝殿でお参りを済ませ、期待していた万治の石仏に向かいます。
万治の石仏は、周囲を田んぼに囲まれているとの説明がされていたので、周辺が開けている場所にあるものと想像していましたが、行ってみると石仏の正面に砥川が流れる谷すじに鎮座していました。
それにしても、この石仏を見学に訪れる観光客の多さに驚きです。
案内板に参拝の作法が書かれており、作法に従って石仏の周りを廻ることと書かれているため、順番待ちの列が出来るほどの状況でした。
胴には万治3年(1660年)と刻まれており、「万治の石仏」と名づけられたとのこと。
今回の旅の最後に歴史民俗資料館を見学し、この下諏訪駅に到着。
出来ればこの下諏訪の地で一泊し、温泉に浸かってのんびりしたかったのですが、御柱祭のためか全く宿に空きがなく、今日はこのまま帰宅となります。
中山道歩き旅3日目はGPSログ記録で距離19.7Km、所要時間は7時間40分でした。
3日間では81Kmということになりました。