中山道の歩き旅は夏場はとても歩けないので、もっぱら山歩きに専念するため5月以来久々の歩き旅だ。
前回、旅を終えた神保原駅からの再スタートです。
最初の立ち寄りポイントはこの金久保神社。
何の変哲もなさそうな神社ですが、設置されている案内に、「・・・ここの拝殿に狩野派の絵師、祥雲斎俊信によって描かれた天井絵があります。中央の龍の絵に「文久3年(1863)発亥卯月吉日 狩野探僕守邦門人祥雲斎俊信画」とあります。」と記されており、
案内板に、こんな見事な龍の絵がありました。
もちろん中に入れませんから直接見ることはできませんが、150年も前の天井絵が、一見するとごく普通の神社に綺麗に残っていることに感心します。
金窪城址公園に寄るつもりで探しましたが、結局場所がわからず城址公園はパスしました。
ここは一里塚の跡だったということで、石碑がありますが残念ながら塚らしい痕跡は全くなくなっています。
大光寺に立ち寄りました。
ここに来るときに旧中山道を左折しましたが、その角に「神流川古戦場と渡場」にまつわる記述があり、その中に渓斎英泉の画「本庄宿神流川渡場」に描かれている見通燈籠は本庄宿の戸谷半兵衛が寄進しもので、現在はこの大光寺に移築されているということです。
その燈籠は本堂の手前左手にあります。
下は渓斎英泉の画「本庄宿神流川渡場」ですが、ここに確かに大きな燈籠が描かれています。
でも、実物とは違う形ですが、英泉の絵が想像の産物なのでしょうか。
そして埼玉と群馬の県境になっている神流川を渡ります。
神流川橋は意外に長く500mほどでしょうか、先は見えません。
橋のたもとには常夜燈のモニュメントもあり見通灯籠のいわれも記されていました。
橋を渡り切った所に、この神流川古戦場跡碑があります。
天正10年(1582)に滝川一益と北条氏直が川を隔てて戦った古戦場だったそうです。
珠色の鳥居が連なるこの於菊神社です。
創建は天正10年の神流川合戦で北条氏政が守護神の稲荷大明神に戦勝祈願をしたところ白いキツネが現れ、見事に北条側が勝利できことに感謝してこの地に社殿を建立したのが始まりと伝えられているそうです。
この稲荷が「於菊稲荷」と名付けられたのは江戸時代になって「於菊」という娘が病にかかり悩み苦しんだ末にこの稲荷神社で深く信心を続けたところ、夢枕たった稲荷大明神が、今後、人の為に尽くすようにということで病気を治したそうです。その後於菊は不思議な霊力で作物の出来具合や人の吉凶などを予見出きるようになったことから、多くの参拝者が訪れ、いつしか於菊稲荷神社と呼ぶようになったそうです。
社殿にはこんな見事な絵馬(狩野美信作-遊女参詣)(高崎市指定重要文化財)も掲げられており歴史を感じることが出来ます。
ここが倉賀野宿の日光例幣使道の分岐です。
例幣使道は日光東照宮の毎年の例祭に合わせて、京の朝廷から金の御幣を託された例幣使の日光への参拝道となっている街道で、ここが中山道との分岐です。
この道しるべには「従是 右江戸道 左日光道」と刻まれ、奥には常夜灯もある歴史を感じることが出来るスポットです。
街道沿いに「倉賀野古商屋おもてなし館」がありましたので立ち寄って見ました。
かっては穀物商だった家ということですが、今年から無料公開されたようです。
色々な展示物もあり、倉賀野めぐりの資料も頂き参考にさせていただきました。
須賀家脇本陣跡の建物も街道沿いにあるが非公開のため内部をことは出来ません。
倉賀野神社です。
この神社の本殿の見事な彫刻物には驚かされます。
元治2年(1865)の上棟で、高崎市の重要文化財に指定されてる。
倉賀野宿のはずれにある安楽寺です。
境内に鎌倉時代末期から南北朝時代前半の造立と思われる板碑が保存されています。
板碑は、「板仏」・「平仏」・「板石塔婆」などとも呼ばれ追善供養などのために建てられた板状の石材を使用した卒塔婆の一種というもので、ここにある二基の板碑は通常より厚い将棋の駒型をしていると云うことで、初めてお目にかかるものでした。
本堂の裏手には安楽寺古墳と呼ばれる小さな古墳がある。
七世紀末ごろに築造されたと推定される径20m、高さ4mの円墳で、何の変哲もない小さな小山のようですが、ここの石室の内部にある奥壁と左右の壁には鎌倉時代の制作と推定される仏像が彫られており、これらは安楽寺本尊となっていて、12年に1度巳年に開帳されると云うことです。
この付近には古墳が多く、ここ浅間山古墳も街道のすぐ近くにある。
ただ、ここは私有地のようで立ち入ることはできないようだ。
今日の最後がこの旧井上房一郎邸の見学です。
「中山道上州七宿めぐり散策図」にあった見どころスポットですが、ここは高崎市の美術館内にあるため、見学には美術館の入館料が必要ですが、65歳以上は無料ということでした。
チェコ生まれの建築家アントニン・レーモンドが井上邸の設計・建築をしたもので、内部の居間は鋏状トラスと呼ばれる独特の梁の構造で、美しくもありました。
今日は最後に高崎市美術館で山名將夫・泉澤守・小林正の3名の作品展が開かれていましたので館内でゆっくり作品を見させていただき帰宅の途につきました。
GPSログの記録で、距離は20.9Kmでした。
出来れば群馬八幡の駅まで歩きたいと思っていましたが、日没も近いため今回は高崎駅までとし、神保原駅から6時間15分の旅を終えました。