久ぶりの東海道五十三次きまま旅は少し暖かくなった3月3日に金谷駅から歩く。
今回は箱根峠・鈴鹿峠と共に東海道の三大難所と云われていた小夜(さよ)の中山峠を越え日坂宿、掛川宿へとたどる旅だ。
駅でGPSをセットしたりの準備を済ませ歩きはじめる。
要所要所に設置された標識を確認しながら10分ほど坂道を登ってくると金谷坂の石畳道の入口に着く。
ここには駐車場と茶屋も有って車で訪れる人も多いようだ。
別名すべらず地蔵尊と云われ、この石畳ですべらないと云うことから受験や商談など何事も願いが叶うというものだそうで、
諏訪原城の存在は今まで全く知らなかったが、国指定史跡になっているこの城跡は、天正元年(1573年)牧の原台地に武田勝頼が築かせた陣城と云うもので、虎口門の礎石などが発掘されているようです。
赤いルートが見学順路になっており一周するのに15分かかりました。
訪れた時には丁度、堀の近くで発掘調査が行われていました。
見学コースの一番奥まで来ると、東側が大きく切れ落ちて金谷から大井川までをごらんのように望むことが出来ます。
この景色を見て自然地形を利用したこの地での築城が十分理解できました。
菊川坂石畳道に入り、下り坂で滑り易いかとも思ったが、日当たりが良いためか案外滑らず安心して歩けた。
道端の所々には紅梅、白梅も咲き春を感じながら気持ち良く歩く。
間の宿菊川からの登り坂はかなり急な傾斜で、舗装された道でなかったら登るのがきつい急坂だが、普通の舗装道路のため息をきらせながらも登っていく。
坂の途中からは両側の茶畑の広がりが次第に大きなものとなり美しい景色を見せてくれる。
ぜひ新茶の季節に見てみたい景色だ。
坂を登り切ると久延寺がある。
掛川城主だった山内一豊が境内に茶室を設け、大阪から会津の上杉景勝攻めに向かう家康をもてなしたという。
そして境内には山賊に殺された妊婦の泣き声が石から聞こえたと云う丸い夜泣石がある。
久延寺の隣にはおみやげを販売している茶屋の扇屋が営業していた。
レトロな看板が印象的だ。
山賊に殺された妊婦の腹の子の方は助かり、寺の住職が水飴で育てたと云う子育て飴が名物となったと云うことなので、本来は柔らかい水飴状のもののようだがお土産にお手軽な飴を買った。
扇屋を過ぎると展望が良くなり北西の方向に見える粟ヶ岳(532m)の山肌に茶の文字が見えてくる。(望遠で撮っています)
この後は眺めが良い山上の茶畑の中の道をひたすら歩く。
茶畑の山の上から二の曲の急坂を一気に下り、日坂バイパスの下をくぐると日坂宿の本陣跡に着く。
25番目の宿である日坂の「本陣 扇屋」は、今はその門のみ再現しているが何も無いよりは昔の面影をたどり易い。
内部は無料公開(土日、祝日のみ)されていてボランティアの方に丁寧に説明していただいた。
また、近くには願い事がことのままに叶うという「事任(ことのまま)八幡宮」(左)があるので、まずはここでお参り。
そして隣には樹齢千年と云う杉の巨木もあり、これも見事なものでした。
丁度昼時でもあり、どこかで食事をと思っていたら都合良く神社のとなりがお蕎麦屋さんでした。
ここで、お勧めですと云われた十割そばをおいしくいただく。
日坂宿の事任天満宮からは特別な見所はなくほぼ国道1号をただひたすら歩く・歩く。
そして約1時間半でようやく今日の最後の見学場所の掛川城に到着。
城内の展示物を見ながら天守閣まで上ると、掛川の町がご覧のように一望できる。
この後、二の丸御殿屋敷でも色々な展示物を見て最後の締めとする。
毎年春になると花粉に悩まされるが、前日まで全く症状が無かったため持参するつもりだったマスクをつい忘れ、午後になると無防備状態で歩き回ったツケが回ってきて大変な旅になってしまった。
今日の歩行距離は18.5Km、歩行時間5時間50分の旅でした。
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