沼津~原~吉原まで
2010/11/27 (土)
今回は沼津駅から程近い中央公園にある沼津城跡から旅をスタートさせ、吉原宿に入る前のJR吉原駅までを歩くことにした。
本来であれば吉原宿の中心部まで行けばいいのだろうが、次に予定している由比宿までとの距離のバランスを考えると、少し足りないが吉原駅をゴールとし歩くことにした。
沼津駅から10分ほどの所にある中央公園には沼津城本丸跡の石柱のみがある。 現在はお城の痕跡は全くなく、ただこの石柱があるのみだ。一歩中に入ると見事なほどに整備された庭の美しさに圧倒される。
伺ったときにも職人さんが庭木の手入に余念がなかったが、それぞれ細部まで手入が行き届いた立派な庭だ。
じゃまにならないよう少し境内を見学させていただいた。
「姨捨」 「夏草冬涛」 「北の海」 ・・・
井上靖の小説もずいぶん読んだが、一番印象深かった記憶があるのは「しろばんば」だったと思う。
街道に戻って歩いていると魚屋さんの店先ではこの地ならではの干物作りの風景も見られる。 この先 吉原まで大分あるので歩きの終盤にお土産に買っていこうと思ったが、結果的にこのお店以外はどこにも見当たらず買うことができなかったのが残念だ。
付近の家の配置が下にあるが、間宿とはいえお店が連なっており、賑わいを見せていたのかもしれない。
それが、左の三角形の望嶽の碑。
再び街道に戻ったあと、こんな常夜灯も見かけるようになる。
吉原駅が近くなってから街道は東海道線を渡ることになるが、今日は南に向かい、富士塚から昔の吉原宿へと足を伸ばすことにする。
写真は富士塚だが、この塚は 昔、富士登山をする人々が登山の安全を祈って海水で水垢離をした後、海岸の石をひとつずつ置いていったことから始まったと云うことだ。
もちろん現在の塚はそれぞれの石はセメントで固定されている。
富士塚から阿字神社のある公園に行くと、思いの外立派な展望台があり、この展望台から田子の裏港を望む。
田子の浦といえば「田子の浦 うち出でてみれば 真白にそ富士の高嶺に 雪は降りける 」の歌が有名だが、現在はそんな詩的な情景とはかけ離れて工場の連なる景色だ。
富士でも見えれば雰囲気もかわるのだろうが、今日は雲の中となっているようだ。
鎌倉時代の初めごろ、この辺りに見付が構えられ、東海道を往来する旅人を改め、吉原湊から対岸の前田まで船渡しをしていた。
天文年間(1532年~1554年)のころになって今の鈴川、今井地区に移り元吉原宿となったという。
このあと、吉原駅に向かう。
原宿を過ぎた辺りから昼食をとるために食事場所を気にしながら歩いたが、結局吉原に着いても食事が出来る適当な場所はなかったため、結果的に食事なしで歩き通し、帰路につくことになった。
次回以降、昼食のことももう少し下調べをして臨むべしが教訓。
今回の歩行距離26.4Km、所要時間7時間10分の旅でした。
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