平塚~大磯~小田原まで 2010/06/20(日)
平塚は八間通りのバス停に降り立ち小田原宿までのおよそ20Kmを歩くが、今回はそれに加えて高麗山(こまやま)から湘南平までのハイキングも楽しむ欲張ったものなで、名所、旧跡めぐりも少し抑えて歩くつもりだ。
広重の東海道53次 平塚で描かれたこの山が高麗山(標高167m)で、古花水橋の交差点にある平塚宿京方見付跡あたりから描かれたものではないかと想像されている。
下の写真がその古花水橋交差点から見た高麗山の姿だ。
高麗山へはまず、高来神社入口(たかくじんじゃ)から山裾にある神社へ行くが、神社から山の上を眺めると、意外なほどの高さで高麗山がそびえている。
神社の奥からハイキングコースに入ると、すぐに男坂、女坂の分岐がある。
ここは、なんとなく男坂を登り始める。
およそ、20分ほど歩き、だいぶ汗ばんできた所で山頂到着だ。
頂上は何もない空き地で周囲の展望もなく少しあてが外れる。
山頂から、多少のアップダウンはあるが、樹木で覆われた小さな稜線上の道を西に進むと15分ほどで浅間山の頂上に到着する。
この山域で最も高い181mの標高だ。ここには一等三角点がある。
やはり、ここでも展望は得られない。
湘南平は浅間山から10分もかからない距離にあり、広い平らな広場の端に立派な展望所がある。
この展望所からは360°さえぎるものがないすばらしい景色を望めることが出来た。
西側には緑溢れる台地の奥に今日の目的地小田原の町並みも確認できる。
天気が良ければ丹沢や江の島から三浦半島まできれいに見渡せそうだ。
湘南平からは一旦 大磯駅まで戻り、東海道の小島本陣跡から再び東海道の旅を再開。
結局、高麗山から湘南平の周遊ハイキングはおよそ1時間30分を要したことになる。
歩きを再開させてすぐに"新杵"と云う古い和菓子屋さんが目に飛び込んでくる。
とにかく時代を感じさせるお店なので、つい立ち寄ってみたくなる雰囲気がある。
ここで、道中のおやつに大磯名物の西行まんぢゅう2個と虎子まんぢゅう1個をばら売りしてもらい購入。〆て350円でした。
新杵からほど近い場所に鴫立庵(しぎたつあん・入庵料100円)がある。
ここは俳諧の三大道場と呼ばれており、庭園内には西行をはじめ多くの句碑が並んでいる
ここに、小田原の崇雪と云う人が西行の歌にちなんで建てたこの鴫立沢の標石があり、裏面に刻まれた「著盡湘南清絶地」により、これが湘南の由来となったとされている。
また、庵には小さな円位堂と云うお堂があり、この中に西行法師の旅姿の立膝座像が安置されている。
たまたま、団体客が一緒だったため、閉じられていた扉が開かれ、この像を見ることが出来た。
庵内を見学した後、休憩がてらここで新杵の西行まんぢゅうを食す。
さすがに昔から愛されてきたまんじゅうだけに、素朴でなつかしい味がし、おいしい。
大磯の松並木を過ぎ、伊藤博文の滄浪閣の碑を確認した後は見所もなくしばらくただ黙々と歩き、二宮駅前にあるお目当ての「ガラスのうさぎ像」を見学。
同じ神奈川に住んでいながら、この像のことは全く知らなかったが太平洋戦争のひとつの悲しい出来事として書かれた戦争体験記がこのような形で残されるのは大変良いことだと思う。
二宮の外れにある江戸から十八里の一里塚
ここを過ぎると、もうすぐ小田原市に入る。
が、小田原宿はまだ先で、酒匂川を越えてからになる。
二宮の一里塚からおよそ8Km、酒匂橋を渡ってから2K弱でようやく小田原宿江戸口見附跡に到着。
左は見附跡の案内板にあったものだが、この付近の大正初期の頃の写真とのことだ。
この写真には荷車をひく人などを含め10人ほどの通行人が写っており、東海道の一コマとして興味深い。
なりわい交流館は旧網問屋を再整備したもので、お休み処として無料で利用することができる。
ここで、冷たい水で喉を潤し、休憩させていただく。
今日の最後は小田原城だ。
この天守閣に来るまでに馬出門、銅門(あかがねもん)を通って来たが、以前より綺麗に復元整備され明るいイメージに変わった印象だ。
最後にこの天守閣最上階から4方の景色を眺め小田原駅より帰路に着く。
今日は高麗山ハイキングなども盛り込み少々ハードな行程だった。
平塚から小田原駅までの歩行総数45,687歩、所要時間は昼食時間を除き8時間40分でした。