藤沢~茅ヶ崎~平塚まで 2010/5/15(土)
小田急江ノ島線の藤沢本町駅に降り立ち、前回街道を離れた白幡の交差点から旅を再開。
今回は途中、茅ケ崎に住む娘の家に少し立ち寄ってから平塚宿まで歩くつもりだ。
藤沢からすぐ小田急線の上をまたぎ、引地橋を越えて少しするとると引地山養命寺を見学。
養命寺には重要文化財の薬師如来座像が安置されているそうだが、一般公開は12年に一度の寅年だそうで、今年がその年だがどうも4月12日がご開帳の日だったようだ。
この後、しばらく見所は無いと思っていたら道端に 「おしゃれ地蔵」なる道祖神があった。
女性の願い事なら何でもかなえてくれ、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をするのが慣わしと云う事だそうで、この地蔵さんにも綺麗な紅が施してある。
面白い風習で、何ともほほえましいものだ。
街道沿いの石材店では、二宮金次郎やペットの石像がたくさん展示してあり、時代とともに石材店も変わるものだと感じる。
国道1号線と合流する四ツ谷交差点近くに大山道の道標があり奥には古い石の鳥居がある。
江戸時代には多くの人々がこの道で大山参詣に出向いたようだ。
茅ヶ崎駅近く交差点脇には日本橋から14番目の一里塚跡がありました。
鳥井戸橋を渡った門が鶴嶺八幡宮の赤い鳥居のある交差点で、ここに南湖(なんご)の左富士の碑がある。
安藤広重の東海道の版画で左手に富士が見えるのは、ここ茅ヶ崎の南湖の左富士と静岡県の吉原が有名と云うことだが、現在はこの付近から富士が見えるのだろうか・・・・ 今日は曇り空で遠方は何も見えないが・・・。
馬入橋からは大山が綺麗に見える。
左の写真は案内板にあった明治14年頃の江戸見附の様子と云うことだ。
宿場は京側にある上方見附と江戸側の江戸見附の間が宿場内となり、宿と宿の間の距離もこの見附を基準にしたそうだ。
江戸口見附の跡を見学した後も脇本陣跡、高札場跡、本陣旧跡と宿内の見所は絶えないが、いずれも石柱と案内の説明文のみのもので面白みに欠ける。
そんな中、写真の建物は西組問屋場跡の場所にある消防団の分署の建物がしっくい塗りで昔風なものとなっており、人目を引く。
この後、平塚の塚や要法寺などのお寺を見て回り、バスにて帰路につくことにしたが、高麗山がもうすぐそこに見える。次回は、まずあの高麗山に登ってみるつもりだ。
今回は茅ケでの寄り道時間を除外して5時間20分ほどの歩きとなった。
歩数は30,832歩でした。