2月に日光道中の歩き旅をスタートさせ、2回目は一泊二日で、まず前回旅を終えた蒲生駅から幸手宿まで歩き、2日目は幸手から間々田駅までの歩きとしました。
日光道中は東海道や中山道と比べると見どころが少ないため、ただ黙々と歩く部分も多く2日間トータル58.7Km(GPSログ記録)という結果で少々疲れましたが、無事予定した歩きを終えました。
蒲生駅から歩いて1時間ほどで越谷宿に入ると、宿場町らしい建物が目立つようになりました。
埼玉六宿マップによると、この小泉家住宅は店舗と蔵が横並びになっており左手にレンガ造りの防火壁を備え、1875(明治8)年に建てられた蔵は1899(明治32)年の大火でも類焼を免れたと云うことです。
向いにある木下半助商店は現役の金物屋さんで、明治32年の大火で被災したため現在の建物を順次建て、2015年に市で初めて国登録有形文化財(店舗及び土蔵、石蔵、主屋、稲荷社)となりました。
大沢の総鎮守である香取神社にやってきました。
神社の奥殿は外壁の四面に見事な彫刻がほどこされ、棟札から慶応二年(1866)の建造と確認されているということです。
粕壁宿に入り、商屋東屋田村本店前で 天保5年(1834)の日光、岩槻、江戸の3方向が刻まれた道しるべの石柱を見ることができます。
永嶋庄兵衛商店は、慶長年間(1596~1615)の創業で、現代まで19代続く米穀問屋です。
何といっても、屋根にのせた鍾馗(しょうき)像が目を引きます。
鍾馗は中国で、疫病神を追い払い、魔を除くという神で、これが日本に伝わり、魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになったようです。
春日部市と杉戸町の境に北緯36度線のモニュメントがありました。
この付近が北緯36度のようですが、杉戸町を示す部分が高すぎて良く見えません。
地球儀は全体にもっと低い位置にするべきでした・・・
創業が文政5年(1822)という銘酒「杉戸宿」の関口酒造です。
旧屋号は「豊島屋」で、現在で14代目になる江戸期から続く老舗酒造です。
幸手宿に日光街道の案内板があり、興味深い写真が沢山ありました。
中でもこの大正10年の御成街道の写真ですが、付近に民家らしきものも無く、整えられた美しい松並木の街道の風景がすばらしく思います。
当時の日光街道でも、こんな様子が見られたのでしょうか。
宿泊するホテル「ホテルグリーンコア+1」に到着です。
自宅に帰っても3時間ほどで帰れるのですが、今日はここで一泊し、明日引続き間々田宿まで歩いたうえで帰宅する計画です。
本日は蒲生駅から歩き始め9時間20分、距離は31.2Km(GPSログ記録)という結果の歩きでした。