昨日は蒲生駅から幸手までの歩きを終え、幸手のビジネスホテル「ホテルグリーンコア+1」に宿泊。
日光道中二日目の旅は、このホテルから栗橋・中田・古河・野木・間々田と歩き、帰宅の予定。
朝、ホテルでの朝食を済ませ、再び歩き旅開始です。
ホテルを出て、国道4号をひたすら歩き40分ほどで日光道中と筑波道の分岐に建てられた道しるべのある分岐にきました。
この道しるべは安永4年(1775年)に建てられたもので、正面には「右つくば道」左側面には「左日光道」右側面には「東川つま道 まいばやし道」と刻まれています。
小右衛門の一里塚です。
この塚は幸手宿と栗橋宿の中間で小右衛門村にあったもので、塚の上には昭和初期に付近から移築されたという弁財天堂が建てられています。
江戸日本橋より十三里目の塚。
利根川の土手の下に栗橋関所跡の石碑がありました。
栗橋関所は、日光道中が利根川を越す房川渡に設置されたことから、対岸の中田と併せて「房川渡中田関所」と呼ばれたそうです。
関所は寛永元年(1624)から明治2年(1869)の関所廃止まで約250年間続きました。
栗橋宿の総鎮守八坂神社の狛犬はなんと鯉でした。
何故「鯉」なのかは、利根川の洪水の際に鯉が「ご神体」を運んできたことに由来しているということですが、めずらしいものを見せてもらいました。
日光街道から利根川の土手に上がる道路が工事で通行止めになっていたため、土手に上がる道を地元のおじいちゃんに聞いても知らなといわれ、結局だいぶ戻って散歩中の人に出会い、その人から迂回路を確認。
再び戻って確認したら、工事の箇所と反対側の道端に迂回路の地図がありました。
本来、この案内は工事のために設置されているバリケードに表示すべきと思う。
結局、道探しに20分以上右往左往しようやく土手に上がった。
土手の上からは、これから渡る利根川橋の奥に筑波山が意外に近く見えていました。
そして、ここに来るまでの間でも、所々で見ることができた富士山ですが、この付近からは遮るものもなく最高の展望が得られました。
また、利根川橋を渡っているときの眺めの良さも最高です。
中央に白く冠雪した日光白根山、右手にどっしりと大きな男体山、隣に大真名子山、女峰山と名峰が並ぶ山々の連なりを眺めながらの歩きです。
中田宿の円光寺に立ち寄りました。
このお寺の庭園は丁度見頃を迎えたツツジが迎えてくれ、良く手入れされてた庭木見させてもらい印象深いものでした。
古河に入り、街道沿いに常夜灯や松並木が綺麗に整備されていました。
案内板によるとこの付近はおよそ5キロにわたって松並木が続いていた場所だったようです。
日光街道が左に曲がる箇所に、右に入る筑波道があり、その角にこの常夜灯を兼ねた道標が有りました。
左日光道、右筑波道とあり、文久元年(1861)建立のものです。
案内板にあった地図によると、現在ここは十字路ですが、江戸時代はT字路だったようです。
よこまち柳通りに入ったこの付近はなんとなく宿場の雰囲気が残っています。
間々田駅が近づいて来た頃、丁度日本橋から70Kmのキロポストがありました。
今日の目的地の間々田駅までもう僅かとなりました。
15時30分前に間々田駅に到着です。
ホテルを出発してから9時間20分で、歩行距離はGPSログ記録で31.2Kmということでした。
大分疲れましたが、2日通して58.7Kmの歩きを無事終了し帰宅の途につきました。