今回の「中山道の歩き旅」は下諏訪駅からのスタートです。
本来、遠方に来たのだから少なくとも2泊はしたかったのですが、年末のため宿の確保もままならず、一泊のみの予定で下諏訪から藪原宿まで歩くことにした。
初日は洗馬駅の先にある民宿千倉をゴールとするおよそ26Kの歩き旅です。
朝一番の「スーパーあずさ」で移動し予定通り9:24に下諏訪の駅に降り立つことが出来た。
前回、改札口の横に鎮座している万治の石仏を写真に収めるのを忘れていたので、改めての撮影。
改札を出て準備を済ませ早速歩き旅のスタート。
歩き始めて15分ほどで砥川に架かる富士見橋を渡りますが、この付近は住宅街の中を貫く細い道が昔の中山道として記されています。
いままで歩いて来た中でも、住宅地を通る中山道としても最も狭い道幅ではないかと思います。
橋を渡った後に設置されていた地元の案内地図に従い、昔の中山道を確認し歩きました。
平福寺の少し手前に長野県県宝に指定されている旧渡辺家住宅の遺構がある。
渡辺家は諏訪の高島藩に仕えた武士で、この建物は、江戸時代末期に改築されたと推定されるもので、木造平屋建の農家建築に近い形式ということですですが、こじんまりとした美しいたたずまいです。
一般公開されていますが、今日は開館していません。
ここが今井口の番所跡です。
番所は高島藩の出役が交替で勤め、添役として村役人の名主や年寄りが当たったという。
塩尻峠への登りに入って少し歩くと、昔から大石と呼ばれているこの丸い大きな石を確認。
塩尻峠に到着です。
下諏訪駅をスタートし丁度2時間でした。
峠の展望台は12/28から安全のため閉鎖する旨の貼り紙で、閉鎖されており展望台からではありませんでしたが、今日は天気が良く遠く富士山(左端)、や甲斐駒ヶ岳(右)が見えました。
塩尻峠から下り、長野自動車道をまたぐと今度は畑の奥に穂高連峰の美しい展望が得られました。
左手が穂高の山塊で、右手の真っ白い常念岳などいつまでも見ていたい素晴らしい展望でした。
国指定重要文化財になっている本棟造りの堀内家住宅は塩尻宿本陣跡の少し先にあるが、残念ながら、丁度修復工事のため幌で覆われており、見ることができなかったため、ここ柿沢付近で見られた本棟造りの民家を紹介させていただく。
棟端の飾ものが雀踊りと呼ばれるもので、威厳と風格を感じる。
屋号の「いちょう屋」の看板を掲げた塩尻宿の中心部にある旅籠屋の小野家住宅も立派なものでした。
この主屋の建物は創建時の建物として現存するもので、国重要文化財になっている。
本陣(川上家)は酒造屋を兼ねていたため酒造場と酒蔵がある大規模なものでしたが、建物は明治15年に焼失し、現在は敷地に碑が建っているのみである。
ここ平出一里塚は日本橋から59番目の塚で、周囲は開けているため良く目立ちます。
宝暦6年(1756)頃には、この付近に茶屋が2軒あったということですが、今は人通りもまばらな中山道もその頃はもっと人通りも多く賑わっていたのでしょうか。
中山道脇に平出遺跡公園がありましたので立ち寄りました。
近くの平出遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての大集落の跡で、遺跡は江戸時代から土器や石器が拾える場所として知られていたそうです。
洗馬宿の追分道標にやってきました。
中山道と、善光寺へ向かう道との分かれ道に立っている道標で、石柱には「右中山道・左北国往還善光寺道」と刻まれている。
街道から少し下がった所に「あふたの清水」がある。
ここは木曽義仲の軍勢と出会った義仲の忠臣今井四郎兼平が、義仲の馬の脚をこんこんと湧く清水で洗ってやった所、馬はたちまち元気を取り戻したと伝えられることから、この清水を「あふた(邂逅)の清水」と呼び、馬を洗ったことからこの地を「洗馬」と呼ぶようになったということです。
JR洗馬駅に休憩がてら立ち寄りました。
小さな無人駅ですが、待合室は綺麗で、ベンチには座布団も置かれでおり、ここで10分ほどゆっくりくつろぎました。
無人駅で、魅力的なこの駅には、わざわざ見学に訪れる人も多いようで休んでいる間に3組ほどの見学者がありました。
本日の宿は洗馬駅から15分ほどの国道沿いにある「民宿千倉」です。
千倉の到着時刻は15時35分で下諏訪易をスタートしてから丁度6時間を要したことになります。
GPSログデータでの歩行距離は26Kmでした。
明日の歩き旅 洗馬宿から薮原宿の記録はこちらです。