中山道歩き旅の2回目は蕨宿からの再開で、今回は蕨駅から歩き始めることにした。
埼玉県内の歩きは国土交通省 関東地方整備局 大宮国道事務所で公開している中山道散策マップが頼りで、ラフな地図でその場所を特定するのが難しく、結局場所が分からないまま目的地をやり過ごしてしまうこともあり大変でしたが、いくつかのポイントはパスしてしまったものの、概ね目的を達成することが出来ました。
次回からは、もう少し正確な位置情報を事前に確認をし、スムーズに旅を楽しめるよういしたいものです。
公園に入り、まず目に入るのがこの裸婦像。
昭和21年に蕨の青年団が中心となり、敗戦のため虚脱状態にあった若者たちを励まそうと、蕨第一国民学校(現在の市立北小学校)で「成年式」が行われた。
昭和23年に、「成人の日」として国民の祝日になり、全国各地で成人式が催される端緒となった。
この像は昭和54年に「成年式発祥の地記念像」として建立されたものということだ。
城址公園の隣にこの和楽備(わらび)神社がある。
明治44年に周辺にあった「蕨八幡」など18社が合祀、整備されて「和樂備神社」と命名された。
続いて歴史民俗資料館に立ち寄ります。
前回、空調設備改修工事のため臨時休館となっており、見学できませんでしたが、今日はOKです。
館内には旅籠でのひとコマを表す人形の展示があり、これはどこにでもありそうなものですが、
旅籠の夕食を江戸時代の文献「仙台下向日記」より再現した展示もあり、意外にしっかりした献立に驚きました。
江戸時代の蕨宿の200分の1の復元模型もあります。
天保14年(1843)の人口は2,223人、家数は430軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠23軒などで構成された南北10町(約1090m)ほどの宿場だったようです。
民俗資料館の次は三学院です。
正式名は金亀山(こんきさん)極楽寺三学院です。
本堂は大きく非常に立派なもので、隣には大きな修行大師像もあります。
境内のしだれ桜が丁度満開で綺麗でした。
広々とした境内には見事な三重塔、そして鐘楼もあり、奥には弁天堂、仏舎利殿金亀舎利塔など見どころが多い。
三学院の地蔵堂にある地蔵尊(左)は、「目疾(めやみ)地蔵」とよばれており、目に味噌を塗ると目の病気が治る、あるいは目の病気にかからないと伝えられており、現在でも信仰の対象となっているようです。
そして寛文から元禄年間(1661~1704)頃の造立と考えられている六地蔵。
奥には子育地蔵と歴史的な石造物が並んでいます。
三学院の次は調(つき)神社です。
この神社は何といっても入り口に鎮座しているのが狛犬ではなコマウサギであるという点です。
調神社の、調(つき)の名が、月と同じ読みであるところから、月の動物と云われた兎が神の使いとされ、兎が配されるようになったようである。
兎は手水舎(てみずや)にも居ますし、裏手の小さな池の中にも居ました。
拝殿は立派なものです。
玉蔵院に立ち寄りました。
この建物は地蔵堂で、案内板に<構造・規模><概要>など説明はあるが専門用語が多く、読んでもなかなか理解できない。
安永九年(1780)の建立と云うことで、その価値が高いことは良くわかる。
本堂の前には少し散り始めているが見事なしだれ桜が有り、美しい風景を見せてくれている。
太鼓橋の手前に意外にも立派な枯山水の庭園が広がっており、美しい風景を楽しませてくれる。
ここから北にまっすぐ2kmほど続くケヤキ並木は圧巻です。
そして、 朱塗りの美しい神橋を渡った先に、またまた朱塗りのこの楼門がある。
本堂の拝殿はこの奥になります。
ここはご覧の通り花見客でごった返しており、周囲には屋台ぐるりと取囲んでいて大変な賑わいです。
宮原駅を過ぎ、少し歩くと道路脇に天神橋と刻まれた橋の欄干が置かれています。
天神橋の跡です。
今は川の存在を伺わせるものは有りませんが、この付近に川が流れており天神橋があったようです。
加茂神社は、昔の加茂宮村の鎮守であり、村名の由来にもなった社ということで、この地では昔から上尾の名所として知られていたようです。
江戸時代の『五街道細見独案内』(ごかいどうちゅうさいけんひとりあんない)に、諏訪神社として登場する神社で、地元では「お諏訪さま」と呼ばれているようです。
この庚申塔は道標を兼ねており、「是従 秋葉へ壱里十二町 ひら方へ壱里八町 川越へ三里」と刻まれていると云うことだが、中々判読は難しい。
延享2年(1745)の建立で、青面金剛像で左右に二鶏、下に三猿と盛りだくさんの庚申塔でした。
上尾宿の案内板まで来て、見学予定の遍照院を大分通り過ぎてしまったことに気づき、止む無くUターンして遍照院に立ち寄る。
開山は、室町時代の応永元年(1394)というので相当の古刹ですが、よく整備された美しい寺院でした。
そして、今日の歩きはこの北上尾駅で終了です。
結局、朝8時40分から16時50分まで途中ラーメン店での昼食時間を含め8時間10分、GPSログ距離で27.6Kmの旅となりましたが、神社仏閣の見学が多かった旅になりました。