久々の東海道の歩き旅は予定していた3連休の天候が思わしくなく、結局年も押し迫った年末になってしまった。
今回は2日間の予定で自宅を早朝に出発し、新幹線で豊橋を経て名鉄名古屋線岡崎公園前駅に降り立ち、宮宿にあるホテル「エクセルイン熱田」までのおよそ32Kmの歩きをこなし、翌日には佐屋街道にて桑名まで一気に歩く計画だ。
岡崎公園前駅に降り立ち、中岡崎の駅近くのトイレに寄ったあと早速歩き旅スタート。
年末の朝でもあるためか八丁味噌蔵が立ち並ぶ美しい通りには人通りはないが、歴史を感じるこの家並みは印象的でした。
矢作橋を渡り、誓願寺十王堂を見学したあとこの和志王山薬師寺に着く。
創建が奈良時代ということだが、その長い歴史に感じ入る立派なお寺だ。
永安寺の境内には雲竜の松と呼ばれる古木がある。
推定樹齢300年といわれるこの松は、その幹が上に伸びずに地を這うように伸びて、天に昇ろうとする竜を思わせるところから雲竜の松と名付けられたと云うことだが、この立派な枝ぶりは実に見事なものでした。
八橋無量寿寺への道標を過ぎると、来迎寺の一里塚を見ることができます。
この塚は現在も県指定の文化財として美しい形で、しかも道の両側に残っています。
知立の松並木は市指定天然記念物としてその保全・保護が図られ美しい風景を見せてくれている。
東海道三十九番目の池鯉鮒宿池鯉鮒宿に入り本陣跡の石柱を確認。
200年近く続いた永田本陣は時代の変化とともに明治8年にその役目を終え取り壊されたということで、こんな石柱しか残ってい。
池鯉鮒神社は東海道三大社の一つで、境内のこの「多宝塔」も、国の重要文化財になっている立派なものです。
室町末期の開創と伝えられる乗連寺の境内には、樹齢800年といわれる椎の古木が広い境内の中にあってひときわ存在感を放っている。
豊明市の桶狭間古戦場跡は、昭和12年(1937)に国の史跡の指定を受けた。
この地は永禄3年(1560)に今川義元が織田信長に襲われ戦死した所と伝えられ、田楽狭間あるいは舘狭間と呼ばれた。
有松に入り驚いたのは街道沿いに見られる有松絞問屋などの古い建物が見事に残されており、江戸時代にタイムスリップしたような町並み続いていたことだ。
写真は絞問屋の竹田家住宅で主屋、書院棟、茶席、宝蔵などの建屋で構成される立派な邸宅です。
鳴海宿を後にし笠寺に入るとここにも立派な一里塚がある。
江戸から88里となるこの塚は名古屋市内に残る唯一の塚として貴重な場所になっている。
中央には見事なエノキの大木がある。
笠覆寺(笠寺観音)の多宝塔は江戸時代初期の建立のようですが、この建物も立派なものです。
富部神社に立ち寄ったころは日も傾き、燈籠には火も入っている時刻になってしまった。
ここは慶長11年(1606)、清洲城主 松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をし、快復した報恩のため本殿などを建立したものということで、桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定されている。
このあと宿泊先のエクセルイン名古屋熱田に到着したのはすっかり暗くなった17時45分。
今日の歩行距離は結果的に34Km、歩行時間は20分ほどの昼食休憩を除いて8時間30分になりました。
明日は七里の渡し場跡を訪れた後、陸路の佐屋街道にて桑名宿を目指します。