磐田駅を降り立つとすぐ左手にこの立派なくすのきが目に飛び込んでくる。
静岡県指定の天然記念物「善導寺の大楠」で、もともとこの地の善導寺境内にあったものだそうだ。推定樹齢700年という大木だ。
くすのきもこのような大木になると神々しいものがあり圧倒される。
駅前から30分ほどで宮之一色(みやのいっしき)の一里塚に着く。
この塚は江戸日本橋から63里目に当たる塚で昭和46年に復元されたものだが綺麗に整備されている。
長森の立場の角を右折し国道1号や1号のバイパスのを越え、天竜川を遡るように15分ほど歩くと昔の渡船場であった池田地区で、ここに歴史風景館がある。
内の展示物には池田の渡しの歴史などを紹介するものが展示されている。
そして近くの行興寺に赴き、門をくぐるとまず正面にこのフジ棚が現れる。
熊野(ゆや)の長フジと呼ばれる樹齢が400年ほどの県指定天然記念物の藤棚だ。
花の開花時期(4月下旬から5月上旬)には大勢の見物客で混雑するということだが、この巨木を見ていると是非一度見てみたい気がする。
行興寺からの帰りは天竜川沿いの土手の上を歩いて戻りたかったが、車の往来が激しい上に歩道もない道のためやむなく土手下の道で戻る。
丁度、中ほどまで来ると土手の中ほどに渡船場跡の記念碑がありました。
天竜川には3つの橋がかかっているが、歩道が有るのは中央の国道1号線の下り車線のみだ。
この橋を渡り始めるが、今日は春一番の西風が強く吹きさらしの橋の上は最悪で、体を前に倒しながら歩くような状況だった。
天竜川を超えた後は妙恩寺や龍梅寺に立ち寄り、後はひたすら東海道の一本道を歩き続ける。
浜松宿に入ってまず浜松城の見学する。
浜松城は徳川家康が築城し29歳~45歳までの17年間を過ごした城だけに興味かったが、天守閣は意外にこじんまりした小さい印象を受けた。
天守閣を見学したあと隣にある浜松城公園の日本庭園に寄ったが、小さな滝と池そして紅梅・白梅が添える彩りはわずかな時間だったが、心を和ませてくれました。
ここまで猛々しい狛犬はめずらしい。
浜松から舞阪に向かう途中の森田町交差点を右折して10分ほど歩くとご覧の伊場遺跡がある。
東海道から少し奥まった場所だったためここまで足を伸ばすのはためらいがあったが百聞は一見にしかずで寄ってみた。
この建屋は実際に発掘た痕跡からの復元品ではなく、埴輪の家を参考に復元したものと云うことで、すこしガッカリした感がある。
伊場遺跡見学の後は途中お蕎麦屋さんで遅い昼食をいただき、ひたすら西へ進む。
舞阪駅入口の交差点を過ぎてから約700mも続くこの松並木が始まる。
東海道五十三次の各宿場のレリーフなども設置され綺麗に整備されている。
松並木が終わる辺りにはこの浪小僧のモニュメントがあった。
石盤に刻まれた説明文には 「むかし、遠州灘の浜では、地引網漁が行われていました。魚がとれない日が続いたある日、真っ黒な小僧が網にかかりました。漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると、小僧は「私は海の底に住む浪小僧です。命だけはお助けください。その代わり、ご恩返しに、海が荒れたり、風が強くなったりする時は、海の底で太鼓をたたいてお知らせします」と言うので、海のもどしてやりました。それ以来、天気の変わる時、波の音がするようになった伝えられています。 遠州七不思議より」
こんな伝説があったということは始めて知ったが、この小僧の表情はなんとも愛くるしくかわいい。
まもなく街道の両側に石垣がある。
これが、宿場の東の見附石垣で、案内板には「詳細は判らないが宝永六年1709年の古地図にはこの石垣が存在していた」とあり、ここが見張所だったようだ。
舞阪宿に入り、本日の宿泊先の民宿に向かう時は 大分陽が傾いてきた。
港に近いので多くの漁船が繋留されて如何にも港町の様相だ。
今日の宿泊はこの民宿 たなべ荘です。
1日の歩きの距離としては長いとも思ったが、この舞阪まで足を伸ばし宿泊することにしました。
宿ではおいしい料理をいただきました。特に舞阪名物だと云う しらす干しは格別でした。
見附宿から浜松・舞阪とめぐる旅は32.7Km・8時間44分の長旅でした。
明日は引き続きこの舞阪から新居・白須賀・二川・吉田と歩きます。
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