藤枝から島田・金谷まで 2011/12/10(土)
この旅をスタートさせてから13日目、距離で200K越えとなりそしてようやく大井川を越える所まで来た。
京都までの道のりの半分には届かないが今回は一つの節目となる旅だ。
車で移動の途中富士山があまりにも綺麗だったので、急遽由比PAでこの絶景を撮影。
久々に見るクリアーな富士だ。
前回と同じ藤枝駅近くのコインパーキングに車を停め、島田宿に向かって旅を始める。
旧東海道の入り口で間違って国道1号に少し入ってしまったが、丁度この202Kmのキロポストがあり、偶然にもここで旅の200K越えを確認できた。 千貫堤・瀬戸染飯伝承館は街道から少し入った所に新設された施設で、それぞれの資料が展示されており館員に丁寧に説明していただいた。 帰りに伝承館に植わっているくちなしの実を一つ頂いて実を割ってみたが、黄色い汁が溢れ出てなるほどこれで染飯を作るのかと納得。
この写真はその伝承館の中に展示してあったものだで、東海道を歩く何かの行事の写真だが確か昭和38年の撮影と記載されていたと思うが、東海道もまだジャリ道で両側の松並木も覆いかぶさるように枝が張り出して勢いがあるものであった。
40年ほど前には東海道もジャリ道であったとは少し意外な気がした。
上青島付近に来るとこんなに立派な松並木が随所に残っており、昔の趣が感じられうれしい。
ここは問屋場跡だったところで、勿論今は何も残っていないがこの建て看板にある浮世絵で当時の様子は窺い知ることが出来る。
御陣屋稲荷神社を見学したあとこの大井神社に来た。
ここにある大名行列の大奴のブロンズ像が印象的でした。
川会所は1696年にできた川越制度に基づき、その日その日の水深を計り川越運賃を定め、通行人の渡渉順の割り振りなどの川越運営業務を行なったそうです。
写真は旅人が乗る半高欄連台ですが、これで担ぎ手4人(川札4枚)と台札(川札4枚分)分合わせて川札8枚が必要だったそうです。
ちなみに川札1枚が水深が一番浅い股通しのときでも48文(1文30円計算で約1440円)だそうですから大変な出費だったですね。
また、川越人足の姿の人形がありましたがいかにも屈強なその姿に驚きます。
これは大井川の堤防から撮影した島田市博物館(観覧大人300円)です。
川越に関る資料やジオラマビジョンでの説明を見させていただきましたが、丁度地元の日本画家青島淑雄氏の展覧会が開かれており素晴らしい多くの絵画を楽しませていただきました。
いよいよ大井川に架かる大井川橋を渡りますが、結果的にこの橋を渡りきるのに15分もかかってしまいました。
改めて長大な橋の長さに驚きます。
金屋宿側の川越施設も島田宿と同様にあったのだろうが、今はその面影を残すものはなく八軒屋橋の橋のたもとにこの川越し場跡の案内板があるだけである。
一旦南下し日本左衛門の首塚を見学したあと新金屋駅にある転車台に乗ったSLを見学。
本当は走っているSLを撮影したかったが、運転時刻は午前中のみで見ることはできなかった。
金屋宿に入っても見所はほとんどないが、本陣の柏屋の跡が碑として建っている。
最後にJR金谷駅に向かったが改札がどこか判らず、ガードをくぐって反対側に行ってしまったが結局入口は無く、改めて北側にあったこの改札口に到着。
帰宅の途につく。
今日の歩行距離18.6Km、歩行時間5時間50分の旅でした。
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