丸子から岡部・藤枝まで 2011/10/1(土)
東海道の旅も自宅から遠くなるにつれアクセスに大分時間がかかるようになってきたため、今回から車で最寄り駅に赴き旅することにした。
今日は、藤枝駅近くのコインパーキングに車を入れ、前回の旅の終わりだった安倍川駅まで戻り旅をスタートさせるものだ。
安倍川の駅から15分ほどで旧東海道に入り、しばらく歩くと水神社の辺りに丸子宿の案内板があった。
この辺りはすでに丸子宿の江戸方の見附から少し入った所のようだ。今はこの立て札などで当時の宿場の様子が説明されているが、それを偲ぶものはない。
町並みは宿場町としての面影を残してはいるが、余り見所は無い。
宿場外れに来てとろろ汁で有名な丁子屋がある。
開店は11時と云うことで内の様子は分からなかったが、今や文化的な価値のあるお店は予想以上に立派なものでした。
名物の麦めしとろろは機会があれば是非味わってみたい。
広重が描いた丁子屋の方は幾分小さなものだが、当時と変らぬたたずまいが感じられる。
宇津ノ谷の道の駅を過ぎ国道1号線を跨ぐと昔ながらの趣きのある屋並みが現れる。
背後に茶畑を抱えた山間の静かな集落だ。
少し歩くと石畳の坂道となり宇津ノ谷の集落に入る。
タイムスリップしたような静かな雰囲気の家並みの中をのんびり歩く。
明治のトンネルに向かって階段を上り、急な坂を上ってくると先ほど通ってきた宇津ノ谷集落を眼下に眺めることができる。
この写真は、宇津ノ谷峠越えの旧東海道に入った所に展示してあった昭和初期の集落の写真だが、これを見ても現在と余り変わらぬ様子であり、変化の少なさに驚きを覚えた。
明治のトンネルは明治9年(1876年)に出来たトンネルだが、その後、失火による崩落で通行できなくなり、改めて明治37年にこのレンガ造りの立派なトンネルが生まれたと云うことだ。
内部は照明され意外に明るい。
東海道の旅は明治のトンネルは通らずに一旦下まで下がり、大正のトンネルの入口を確認したあと、峠越えの旧東海道への登り道に入る。
途中に地蔵堂の跡などを確認しながら登ること 7~8分で宇津ノ谷峠に到着。
うっそうとした林の中で、残念ながら展望は得られない。
峠からの山道を下り、国道1号線を跨いでから20分ほどで岡部宿に入る。
岡部宿には江戸時代に建てられた「大旅籠柏屋」があり、現在は歴史資料館として公開されている。(大人300円)
資料館は土間から中の様子をうかがうだけなら特にお金はいらないと云うことだったので、奥に抜ける台所なども含めて見学させて頂いた。
リアルな人形のせいか昔の日常の様子が肌で感じられる。
歴史資料館の中庭には立派な土蔵もあり、丁度催し物の「懐かしい映画看板展」が行われていた。
岡部の松並木を抜け横内に入ると、家々の軒には屋号を掲げた家が多く見受けられるようになる。
そんな様子は、如何にも歴史ある街道筋の様子を伺わせるものだった。
街道を歩いていて遠くからそれと判るこの巨木は樹齢およそ500年、根廻り15.2mもある須賀神社の御神木クスノキだ。
鳥居の大きさと比べると、その巨大さが判る。
樹高は県天然記念物に指定された昭和33年の時点で23.7mと云うことだ。
藤枝宿に入って街道はショッピングプロムナードとなっており、昔の街道の面影は全くないものになっている。
これが、本来の変遷の姿なのだと思うが・・・・・
宿に入ってからしばらく歩くと、久遠の松の大慶寺がある。
この松も大変大きく、樹高25m、根廻り7mと云う黒松だ。
700年ほど前、日蓮上人がこの地に立寄ったおり自ら植えたと伝えられている。
今旅も終盤にさしかかり瀬戸川を渡れば残りはもうわずかと云う時、対岸の土手に見事な彼岸花の群落があった。 丁度今が満開で、真っ赤に染まった護岸の道に入り旅の最後をしめくくった。
今回の旅は、結果的に少し余裕の無いものになった印象がある。 急ぐ必要もないのに先を急いだりして見所を見逃したりし、およそ半年ぶりのせいか最後までペースがつかめなかった旅たった。
今日の歩行距離は23.2Km、歩行時間は昼食時間を除き6時間45分でした。
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