江尻から丸子まで 2011/4/2 (土)
前回は興津宿から江尻宿の手前の清水駅までの旅であったが、今回はその清水駅から江尻宿に入り府中宿を経て丸子宿の手前のJR安部川駅までの予定とした。
ただ、このあたりは見所も少ないため面白味に欠けそうで、足早に先を目指すことになるとの思いから、少し寄り道をしてまだ訪ねたことのない三保の松原の見学を組入れることにした。
清水駅から路線バスにて20分ほどで「羽衣の松入口」に着いた。
まず近くの御穂神社まで住宅街を抜け5分ほどで神社正面にさしかかるが、時間の関係でそのまま神社の前から始まる三保の松原神の道と云う遊歩道(下の写真)に入る。
神社から先が確認できない位の長い板敷きの遊歩道で、両側の松並木はいずれも年輪を重ねた立派なものばかりのすばらしいものだ。
遊歩道を歩くこと15分ほどでようやくお目当ての羽衣の松がある砂浜に着く。
保護柵で囲われた大きな松はこれ以外にもあり、それぞれ立派なものだ。
また、この付近は土産物屋立ち並ぶ観光地になっており多くの人たちで賑わっている。
松林を抜け砂浜に出ると駿河湾の奥に富士を載せたお馴染みの景色が待っている。
ただ、残念だが今日も春霞で富士の雄姿もおぼろげだ。
海岸線の堤防の上は何故か一輪車の練習で行ききする子供たちの姿が多い。
海岸線の松林も堤防が途切れた場所で終わるが、ここに小さな塔台があった。
三保の松原の見学も丁度良い区切りで、この地で引き返すことにする。
帰路は再びバス通りまで戻り、バス停「三保ふれあい広場」から再び清水駅に戻る。
結果的に、この三保の松原の散策歩行距離は丁度5Km、1時間強でした。
清水駅から繁華街の中を進むと江尻宿ということだが、付近に昔の面影を見つけることはない。
この可愛らしい河童像を乗せた巴川にかかる稚児橋も、川の中から稚児が現われたという伝説から、稚児が河童ではないかと云われた由来により造られたようだ。
稚児橋の少し先に「是より志三づ道と刻まれた追分道標がある。
東海道から清水湊への「志三づ道」との分岐点であることから追分と呼ばれていたようで、清水港から江戸への近道として利用されていたそうである。
その追分道標の横にご覧の追分羊かんのお店がある。
前回、清水駅で羊かんを買ったが今回はここで改めてお土産に羊かん購入。
そして今風の和菓子もたくさんあったので、おやつにおいしそうな桜餅も買ってみた。
江戸から数えて43番目の草薙一里塚跡。
もちろん今は、その痕跡もなく一里塚跡と刻まれた石柱のみだが、
何故か横に信楽焼きの狸の置物 があるのが面白い。
草薙駅近くのお蕎麦屋さんに寄ってお蕎麦を食べたあと、この旧東海道記念碑の所から東海道線の下をくぐり北側に移動。
この付近は、道が判りづらく間違えそうになる。
とにかくあまり見所がないため殆ど寄り道もなく府中宿に入り静岡の繁華街を通り駿府公園となっている駿府城城址に到着。
公園の中心部付近にご覧の徳川家康公の大きな像を見学。
そして、城内を一周して東御門からお堀の角にある美しい巽櫓を見ながら駿府城址を後にする。
この付近は明治7年まで幕府の政策や法令を掲げた高札場が置かれていた。
札之辻の名前の由来もここから来ているとのことである。
そして安倍川手前まで来て、安倍川餅で有名な石部屋(せきべや)でお馴染みのお餅(1,200円)を購入。
それから隣にあるご欄の安倍川の義夫の碑を確認。
安倍川を渡る際に財布(150両)を落とした旅人に、拾った川越人夫がこれを届けたが、拾ったものを落とし主に返すのは当たり前だと云って礼金を受取ろうとしないので、旅人から届けを受けた奉行所が代わりにほうびの金を渡したということから昭和4年に有志によって建てられた顕彰碑ということだ。
150両という大金を懐に旅をするなどと云うことがあったのにも驚くが、正直な川越人夫の話がうれしい。
その安倍川をこの安倍川橋でわたる。
ようやく今日の終了地点のJR安倍川駅に到着しました。
時間は17時40分で三保の松原散策もあり意外と遅い到着になってしまいました。
東日本大地震の影響でJRの運転状況は、実際に行って見ないとわからない状態なので計画を立てづらいが、帰路熱海で30分ほどの待ち時間があったもののおおむね順調だった。
本日の歩行距離は 三保の松原散策の5Km・1時間5分
と東海道の旅23.2Km・6時間10分(昼食時間を除く)の合計28.2Km・7時間15分でした。