東海道を日本橋から京都 三条大橋まできままに旅を続けようと思い立ちました
特別な予備知識が有るわけではありませんし、東海道に思い入れがあるものでもありませんが、好きな山登りもお天気次第で思い通りにならないとき、気軽に出かけられるお手軽さから思い立った次第です。
それでは日本橋からスタート
日本橋~品川~川崎まで 2010/3/13(土)
歌川広重の東海道五十三次は今も東海道を旅するものにとって象徴的な絵として人気があるが、この絵のおかげで東海道がより魅力的なものとして、また身近なものとして感じられる。
日本橋は1604年に東海道、中仙道、甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道の起点として定められたものだが、今も日本の道路網の始点として運用されている。
東京オリンピックのころこの橋を跨ぐ首都高速が物議をかもしたことを思い出す。
増上寺で参拝を済ませたあと、 隣の芝公園内の丸山古墳に好きな伊能忠敬の測地遺功表があるので寄ってみた。
東海道から江戸府内の入り口として設けられた高輪の大木戸跡。
二間(3.6m)の柱の間に両開きの扉がついた木戸だったそうだ。
伊能忠敬はここを全国測量の基点としたと云う。
高輪大木戸から直ぐの浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていることで有名な泉岳寺を訪れた。
ここに美しい音色を奏でる水琴窟があった。赤穂市の長棟造園から寄贈されたもののようだが、義士への鎮魂と書かれたこの水琴窟の独特の音色は大変深みのある癒効果抜群のものだ。
品川駅から旧東海道に入って商店街を少し歩くと品海公園に品川宿の石柱があり、日本橋より二里、川崎へ二里半とあった。
ここまで2時間半もかかってしまったが、寄り道も多かったので順当かな。
山好きにとってはこの品川神社も是非見て置かなければならない。
この神社の階段の左手の小山には富士塚があり、品川富士と呼ばれている。この富士塚は富士山を信仰する富士講の方々が、富士山を遥拝する場所として造った築山だそうで、今も毎年7月1日に山開きを行うそうである。
この山頂からの眺めも他では味わえないものでした。
青物横丁駅のそばにある品川寺(ほんせんじ)にも寄ってみました。
ここは東海七福神の毘沙門天などがあるお寺ですが、この大イチョウも目を引きます。
幹周り5.35m、高さ25m、推定樹齢600年とのことで、何よりも特徴的なのが幹や大枝から多くの乳が垂れているめずらしいものです。
鈴ヶ森刑場跡を過ぎると旧東海道ともお別れで第一京浜をひたすら川崎宿に向かって歩くことになる。
この辺りにも神社仏閣が多いが妙安寺に寄ったあと六郷神社に行き大変ユーモラスな狛犬に出会った。
印象的な顔立ちで遊び心も感じさせるが、大変深みがあり芸術性が高いと思う。
元々は徳川幕府が慶長五年(1600)に六郷大橋を架けたが、元禄元年(1688)の大洪水で流され、以後六郷橋を撤廃して渡船に切り替え、明治にはいるまで渡船による通行だったそうだ。
しかし多摩川も一時の汚れが嘘のように美しくなってきた。
川岸では投げ釣りを楽しむ人達も見受けられる。
川崎宿は、本陣2軒、旅籠約70軒のほか油屋、煙草屋、小間物屋、酒屋などが店を広げ、大工、鍛冶屋 、桶屋などの職人や農民も居住していた活気に満ちた宿場で、もともとこの辺りは砂浜の低地のため設置に当っては宿域に盛土が施されたと云うことだ。
今回はこの川崎宿までとし京急川崎より帰路につく
結局、日本橋から品川宿まで2時間半、品川宿から川崎宿まで食事時間込みで5時間でした
歩行距離はおよそ25k
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