昨日から歩き始めた奥州道中の歩き旅2日目は喜連川宿の「ホテルかつらぎ」から再開です。
2日目は喜連川宿から佐久川宿・大田原宿まで歩き、西那須野駅から帰宅する旅となります。
昨日は途中の日帰り入浴施設の喜連川早乙女温泉で少し疲れをいやしてからこの「ホテルかつらぎ」に入り、ゆっくり食事のあと熟睡です。
今日はここから大田原宿まで歩き西那須野から帰宅となりますので、朝も一番に食事をいただき7時10分ごろ歩き旅スタートです。
荒川を渡って喜連川宿に入ると街道沿いに昔の面影を残している旧家が目立ってきました。
まず、この「かぶらぎ時計店」です。
そして京呉服店・洋品のささや は創業250年の呉服商。
さらに「たかしお薬局」はあの野口雨情の妻ひろの実家ということです。
この道標はもともと設置されていた場所から台町集会所に移設されていましたが、享保9年(1724)建立の「右奥州海道 左在郷道」と刻まれた追分道標を確認することができます。
奥州街道は「JAしおのや」の先から養豚場の横を通り、こんな畑の横の未舗装の道を歩くことになります。
この先に日本橋から34番目の南和田の一里塚があるはずでしたが、確認できないまま通り過ぎてしまいました。
佐久山宿に入ると傷薬の家伝薬「運用膏」の老舗であった八木澤家があります。
門にはその運用豪庵の看板が掲げられていますが、判読は難しい。
佐久山宿を過ぎ岩井橋からは遠くに高原山の山塊と思いますが、美しい姿をみせてくれました。
街道沿いの吉井宅で「与一の里名木選 赤松」を見ることが出来ます。
目通り周囲 1.7m、推定樹齢200年の赤松は立派です。
代々名主を務めた国井宅の門は近くの八木沢陣屋から移築したものだそうです。
この門の横には寛永年間(1624~1644)に八木沢部落が開かれたものを記念して建立された「此町 初寛永四 卯 年」と刻まれた町初碑を見ることが出来ます。
最後はこの立派な金燈籠です。
文政2年(1819)鋳造の燈籠は戦時中に供出されてしまい、現在のものは昭和54年に鋳造されたものです。
台座は往時のもので「江戸」「白川」と刻まれ、塩原道との追分道標だったようです。
ホテルかつらぎから歩いてきた奥州道中歩き旅二日目は、判りやすい金燈籠で一旦区切り、次回はここをスタート地点することにしました。
今日はここから西那須野駅に向かい帰宅することにしましたが、残念ながら駅までのバスは1時間以上待たなければならなかったので、引続き歩いて駅まで移動です。
結果的に西那須野駅まで歩いた旅はGPSログ記録で26.6Km、時間は丁度8時間ということになりました。