2月に日光道中の旅を終え、引続き3月から奥州道中を歩くことにしました。
スタート地点は東部宇都宮駅近くにある日光道中と奥州道中の追分で、初日はこの追分から白沢宿・氏家宿と歩き喜連川宿手前のホテルに宿泊し、2日目に喜連川宿から佐久川宿・大田原宿まで歩き、西那須野駅から帰宅する旅です。
奥州道中のスタート地点は日光道中との追分になっているこの地点で、角に標識があり、ここから東に向かって歩くことになります。
追分から歩いて30分でJR宇都宮駅近くの「旧篠原家住宅」が最初の見学スポットです。
篠原家は江戸時代からこの地で醤油醸造業や肥料商を営んできた商家で、現在の建物は明治28年(1895)に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
主屋内部は見学可能(入館料100円)で、1階の茶の間の箱階段など興味深く見学させて頂きました。
街道沿いにはこの地の豪農であった岩淵家の立派な長屋門(明治27年築)を見ることが出来ました。
付近には他にも長屋門が見られ、奥州街道沿いは特に多い印象です。
白澤宿には江戸時代の公衆便所跡というのも保存されていました。
地中の構造は往時のものということで、田畑の肥料として利用されていたようです。
鬼怒川の渡し跡の標識がありました。
この渡場は春から秋にかけては舟渡し、冬の渇水期は仮橋が架けられたということです。
鬼怒川を渡って街道を歩いていると、こんな男女双体道祖神を見ることが出来ました。
勝山城跡がある公園に立ち寄ってみました。
公園内にあるさくら市ミュージアムには立ち寄りませんでしたが、ミュージアムの入口近くにこの見事な不動明王坐像をガラス越に見ることが出来ました。
栃木県指定文化財になっているこちらの木製の坐像は光明寺の不動明王坐像を鋳造する時に使った原型ということで、一般的には鋳造後に廃棄されてしまうものが現存しているのは大変貴重なものということです。
氏家宿の南端の馬頭観世音の石碑の横に「右江戸海道 左水戸かさま 下だて」と刻まれた道標があります。
ここには氏家宿の南木戸があり番所が設けられていたようです。
北関東三十六不動尊霊場 光明寺の境内に、さきほど見学したさくら市ミュージアム前に展示されていた不動明王坐像を基に造られた巨大な青銅像が奥の岩の上に乗っていました。
色も鮮やかに塗られ、憤怒の形相が迫ってくる姿に迫力を感じました。
氏家宿の街道沿いに貿易業で財を成した瀧澤家の屋敷があります。
板塀の向うに見えるのが2階建ての座敷蔵で土蔵の屋根上に洋風の望楼を載せたもので、半円形の窓や洋風の手摺などが設られている特徴的なものです。
望楼を載せた建物は当時、多数存在していましたが、現在栃木県内では殆ど見られず貴重なものとなっているようです。
江戸日本橋を起点に32番目の一里塚(南塚)が狭間田新田の坂本宅内に現存しているため、声を掛けさせていただき見学・撮影させていただきました。
街道沿いに日帰り入浴施設の喜連川早乙女温泉がありましたので、予定はしていなかったのですが急きょこの温泉で疲れをいやしてから宿に入ることにしました。
ほとんど地元の方々だと思いますが、客は少なくのんびりゆっくり熱い湯につかることが出来ました。
温泉から出て今日の宿の「ホテルかつらぎ」に向かいます。
温泉を出た時には少し暗くなり始めていましたが、この奥州街道(古道)に入る時にはすでに時間は18時近くになり、この薄暗い山道のような所には入っていきますのでどうしても足早になり、結局7分ほどで再び車道に合流しました。
結局、すっかり暗くなってしまいましたが18時半ごろ無事ホテルに到着です。
結果的に今日の歩き旅は丁度9時間の歩きで、距離はGPSログ記録で28.8Kmでした。