日光道中歩き旅は今回、宇都宮宿から鉢石宿日光橋までの36Kmを一泊二日で歩き完歩となりました。
初日は宇都宮宿の奥州道中との追分をスタートし、今市の七本桜までの歩きとなりました。
できれば今市の手前に宿泊施設があれば良かったのですが、適当な宿がなく宇都宮駅近くに宿をとった
ため、初日の最後はバスの時刻を気にしながらの歩きでした。
スタートは日光街道と奥州街道の追分で、この案内板があります。
宇都宮駅からバスで移動し、この地点から日光道中歩き旅の再スタートです。
桂林寺を見学したあと、少し先にガイドブックにあった「鍵の手」の名残りを確認できました。
直線的な道路がここだけ枡形の痕跡を残しています。
さらに少し先に勝善神の大きな石碑がありました。
勝善神とは、神道の牛馬の守護神で仏教系の馬頭観音にあたるものだそうです。
いままでの東海道や中山道の旅では見たことが無かったと思います。
東北自動車道の高架の手前に、日本橋から29里目の高谷林の一里塚があります。
両塚とも残されており、こちらは昭和58年に補修・整備されたという東側の塚です。
高谷林一里塚のすぐ先に大正4年(1915)に建設された浄水の水圧を調整する第六号接合井がありました。
案内によると接合井は今市浄水場で浄水した水を、距離26Km、標高差240mある戸祭り廃水場まで送る際、送水管にかかる水圧を弱めるために建設された施設ということで、現在この第六接合井だけが創設当時の姿を残しています。
八角形平面の煉瓦造上屋は登録有形文化財。
徳次郎(とくじら)の智賀都神社参道口の「長寿の夫婦ケヤキ」がすごい。
推定樹齢700年の栃木県指定の天然記念物で、目通りは周囲8m、樹高40mというケヤキの巨木が並んでいる姿は圧巻でした。
享保15年(1730)に造立されたお願い地蔵(占い地蔵とも呼ばれる)石仏が街道沿いにあります。
地蔵尊に自分の患部と同じ所に赤い布をつけると御利益があると言い伝えられるお地蔵さんです。
台座には3個の丸石があり、願をかけた後、そのうちの1個を持ち上げ、軽ければ願いが叶うと言われているそうです。
持ち上げて見ましたが重たかったです。
お願い地蔵の先で車がいない時に街道沿いの美しい杉並木を撮りました。
歩いている歩道は並木の外側にあるので、交差する道路を超えるたびに車道の高さまでのアップダウンを繰り返すことになりキツイです。
旧日光街道は途中から杉並木を守るために車両の通行が出来ないようになっていましたので、歩行者にとっては最高の散歩道になっています。
日本橋から32里目の水無の一里塚が街道の両側に現存しています。
ただ街道沿いの杉並木の奥にある塚は杉の木に遮られてあまり目立ちません。
今日は宇都宮にバスで戻らなければならないので、バスの時刻を気に掛けながら歩いてきましたが、けっきょく少し欲張り過ぎて七本桜のバス停まで歩いてしまいました。
明日は、七本桜から再開し終点の日光橋まで歩いたあと東照宮や二荒山神社を巡ります。