2019年2月から歩き始めた日光道中歩き旅も、いよいよ今日が最終日です。
昨日、宇都宮から今市の七本桜まで歩き、今日は引き続き終着点の日光橋までの歩きになります。
昨日はこの七本桜で旅を終え宇都宮のホテルに戻ったので、今日は引き続きここから歩きはじめます。
七本桜から歩き始めて日光東武線のガードに近づいたとき、ちょうど特急スペーシアが通過。
日光街道と朝廷から例幣使と呼ばれる勅使が日光東照宮に通った日光例幣使道との追分に位置していることから名付けられた追分地蔵尊です。
この地蔵尊の大きさは東日本でも最大級ということで、確かに他では見たこともない大きなお地蔵さまでした。
追分地蔵のすぐ先に造り酒屋「渡邊佐平商店」があります。
創業は天保13年(1842)で銘酒日光誉の蔵元ということで、立ち寄って見ました。
試飲した大吟醸酒が美味しかったのでおみやげで購入。
薬師堂の境内にある石釣鐘は明和5年(1768)の建立で、その釣り鐘は重みで竜頭が壊れて以来放置されているというものです。
寛政3年(1791)建立の大きな常夜燈が街道脇にありました。
稲荷町の稲荷神社境内に「西行戻石」がある。
西行は東大寺再建の基金集めで旅した奥州平泉からの帰りに僧たちの知恵を試そうとした。
日光権現がこのことを知ると小僧に姿を変えてこの石に乗り、西行が「どこへ行く」と尋ねると「冬萌(ほ)きて夏枯草を刈りに行く」と見事な歌で返されたため、この地での「歌くらべ」は無理だと悟り引き返したと云われている。
日光橋の近くに戊辰戦争の時に幕府方の大鳥圭介と官軍の板垣退助が話し合って日光を戦火から守った功績で建立された像がある。
日光道中の起点(終点)である日光橋に到着です。
日光橋から見る神橋です。
勝道上人が大谷川の激流に行く手を阻まれると、対岸に二匹の蛇が現れて橋となり、滑る背に山菅を敷いて渡ったところから「山菅の蛇橋」と呼ばれ、寛永13年(1636)に「神橋」が架橋された。
神橋は神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般は日光橋の通行とされた。
国重要文化財指定。世界遺産。
日光道中歩き旅の最終日は今市の七本桜から日光橋までGPSログ記録で11.6Km、時間3時間55分という結果でした。
この後、東照宮や二荒山神社に出向き一昨年訪れた時にはまだ補修工事のため見ることが出来なかった陽明門など、あらためてじっくり見学をし、16時すぎに東武日光駅から帰路につきました。
次の歩き旅は再び追分から奥州道中の旅をスタートさせます。