昨年4月に3年ががりで歩いた中山道の旅を終え、今年から新たに日光道中の歩き旅を始めることにした。
日光道中の初日は日本橋をスタートし、千住宿 草加宿と歩き、越ヶ谷宿の手前の蒲生駅までの歩くことになりました。
GPSのログ記録で距離26.5Km、所要時間は7時間20分という結果でした。
2010年に東海道、2015年に中山道、そして今年2019年に改めて日光道中の歩き旅を始めるに当り、この日本橋の欄干の横に立つことになりました。
少なくともあと1回、甲州道中を歩くためにこの場所に立つことになりそうです。
以前から話題になっていた日本橋の上に架かる首都高は2020年のオリンピック開催後に地下化の工事を行う方向で決められたようなので、次回もこの風景を前にして歩き旅をスタートすることになりそうです。
日本橋をスタートしてから素直に日光街道に入っても、昭和通りを走る首都高速1号線の高架の下を横切る道が無く、いったん江戸通りの交差点まで迂回し、大伝馬本町通りに入ることになります。
旧日光街道の標識や案内があるわけではないので、スタートし始めたこの付近は割に判りずらい状況です。
日本橋スタートしてから最初から江戸通りを歩いたほうが良いかもしれない。
写真は歩き始めて丁度1時間ほどで到着した駒形橋西詰交差点から見たスカイツリーです。
そして、日本橋から1時間5分ほどで浅草寺雷門に到着です。
雷門をくぐり、混雑した仲見世を抜け浅草寺にやってきました。
この時期は丁度旧正月の休暇で訪れる中国の方々も多く、大変な混雑ぶりです。
参拝を済ませ五重塔の撮影などをしただけで見学もほどほどに先に向かいます。
千住大橋で隅田川を渡りますが、ここまで丁度2時間でした。
最初に千住大橋が架橋されたのは、文禄3年(1594年)隅田川最初の橋で、当初の橋は現在より200mほど上流だったということです。
昔の旅人にとってこの橋を渡ることは江戸を去る第一歩であり、江戸入りの第一歩でした。
芭蕉生誕360年を記念に有志によってこの芭蕉像が建立されました。
芭蕉は、深川から船で千住に着き、「奥の細道」へ旅立つ際に矢立て初の句『行く春や鳥啼き魚の目に泪』と詠んでいます。
千住宿歴史プチテラスに立ち寄りました。
奥に紙問屋・横山家から寄贈された土蔵が移築され、展示館として無料公開されています。
このあたりには「やっちゃば」と呼ばれる青果物問屋街があり、その風景などの写真があり説明いただきました。
その「地漉紙(じずきがみ)問屋」の横山家の建物が現存しており往時をしのばせてくれます。(内部非公開)
草加駅の少し手前に今様草加宿の碑がありました。
ここを左に入ります。
草加宿の神明庵に立ち寄りました。
ここは古民家を改修した無料の観光案内所で、お茶を頂きながら休憩です。
また、ここで町あるきマップも頂きました。
綾瀬川沿いの旧日光街道松並木は国指定の名勝「草加松原」として遊歩道が整備され1.5Kmにわたって美しい松並木が続いています。
綾瀬川を蒲生大橋で渡った右手に東側の「蒲生の一里塚」が残っています。
江戸日本橋より五里目の塚で埼玉県内の日光街道で唯一残っている塚だそうです。
不動明王像の台座に「是より大さがミ道」と刻まれた大聖寺(大相模不動)への道標がありました。
日光道中初日の歩きはこの蒲生駅までとし、帰路につくことにしました。
結果的に初日の歩行距離はGPSログ記録で26.5Km、時間7時間20分という結果でした。
次回はこの蒲生駅からのスタートになります。