中山道歩き旅2日目は中津川宿の中津川タウンホテルから大井宿、大湫宿と歩き、釜戸駅から帰宅の途につく旅です。
妻籠や馬籠宿と違って大井宿を過ぎると殆ど人との出合はなく、むしろ寂しすぎる歩き旅になりました。
中山道歩き旅の2日目は、ここ中津川タウンホテルからスタートです。
部屋で昨晩仕入れたパンと飲み物で朝食を済ませ6時35分に出発です。
早朝のため中津川歴史資料館などの建物を確認し、早々に見どころの一つである代々中津川村の庄屋を務めたという肥田家の屋敷に着きました。
両妻部にうだつを上げた当時のままの立派な姿を見ることができました。
そして枡形にやってきましたが、ここにも街道の両側に昔の面影を残す立派な家々が立ち並んでいました。
大井宿の本陣です。
ここはいかにも本陣という立派な門構えですが、建物は昭和22年の火災で焼失してしまったため現存しないそうです。
この門だけでも往時の様子を感じ取ることができます。
大井宿では、広重美術館は是非見学をしたいと思って美術館まで行ったのですが、あいにく祭日の翌日は休館ということになっていて残念ながら見学は出来ませんでした。
やむなく引き返しましたが、ここ大井橋までやってくると、橋の欄干に広重の中山道の陶板がはめ込まれ、その作品を目にすることだ出来るようになっていました。
これを見るだけでも記念になります。
中野村庄屋の家にやってきました。
中山道を日本橋からずっと歩いてきましたが、出窓の下にあるアーチ状の竹柵はここで始めて見かけました。(見落としもあるかもしれませんが・・)
ウィキペディアによりますと、これは 犬矢来(いぬやらい)といい道路に面した外壁に置かれるアーチ状の垣根で、竹や木などでできたものが多いが、現在は金属製も多く用いられる。馬のはねる泥、犬走りと呼ばれる軒下を通る犬や猫の放尿から壁を守るもの。駒寄せから発展したとも言われ、泥棒が家に入りにくい効果もある。
というものだそうで、初めて見させていただきましたが、見た目も美しく印象的でした。
十三峠の入口です。
ここに倒れていましたがカンバンが有り、「告、 中山道はここより御嵩宿まで約30Km幹線道、鉄道を外れ山間を行きます。途中食堂や商店宿泊所などありません。十分な準備、下調べで前へお進み下さい。」とありました。
ここに書かれているとおり、この先殆んど山の中の歩きになり、大湫宿にいたるまでに行き交った人はわずかに2人だけでした。
十三峠の入口から5分ほどで、歌聖西行法師の供養のために造られたといわれる五輪塔があります。
室町時代の末期のものと推定される高さ1.4mの仏塔ということですが、それほどの古さを感じ取ることが出来ないものでした。
槙ヶ根一里塚はほとんど完全な形のまま残っており、岐阜県の史跡に指定されている塚です。
この後にある権現山一里塚もそうですが、大井宿から御嵩宿までは殆ど山の中を通るため、当然街道沿いも開発されることが無く、多くの遺構も残されることになるのでしょう。
この付近が深萱立場だったようです。
深萱立場は、大湫宿と大井宿の中間にあり、茶屋や立場本陣、馬茶屋 など10余戸の人家があったそうですので、この付近はむしろ現在より賑わっていたのでしょう。
権現山一里塚は街道の両側に見事に残されています。
両塚とも現存する貴重なものとして県の史跡に指定されています。
十三峠の入口からほぼ山の中を4時間ほど歩き、ようやく眼下に広がる大湫宿を目にすることができました。
大湫宿に入ってすぐにこの旧森川訓行家住宅があり、ここが瑞浪市の観光案内所として無料公開されていましたので、入館し休憩させて頂きました。
また、ここに岐阜東濃「中山道七宿歩き帖」が置かれておりましたので、馬籠宿から御嵩宿までの7宿のマップとして次回の歩きに使わせてもうことにしました。
JR釜土駅へ下る道の分岐点にある高札場までやってきました。
今回の旅は大湫宿のこの地点で終了となるため、ここから釜戸駅に向かうことになります。
分岐から釜戸駅までは見事な紅葉に彩られた約3.5Kmの道のりで、景色を楽しみながらノンビリ歩くのも良いかとも思ったのですが、下り坂でもあり次の電車にギリギリ間に合いそうな時刻だったので急ぎ足で駅に向かうことにしました。
結果的に45分で釜戸駅到着し、計画した時刻より早めに帰宅の途につくことが出来ました。
今日の歩きは中津川の中津川タウンホテルからここ釜戸駅までGPSログ記録で29.9Km、およそ9時間30分の旅となりました。
次回は、この釜戸駅からスタートすることになります。