スーパーホテル鈴鹿は温泉があるビジネスホテルで、昨晩は外で食事を済ませたあと1階にある天然温泉でのんびりし、疲れを癒すことができ最高でした。
朝はバイキングスタイルの朝食をカウンター席で食べる形式ですので、落ち着いた雰囲気ではありませんが、一人旅だとかえってカウンターの方が気兼ねすることも無いので良かったかもしれません。
ホテルでゆっくり朝食を済ませ7時35分に歩き旅スタートです。
平田駅近くのホテルからは30分ほどかけて庄野宿へ戻ることになります。
静かな住宅街の一角にあるこの庄野宿本陣跡に到着。
今はこんな石柱しかありませんが、街道沿いには所々に昔の面影をしのばせる雰囲気があります。
近くの川俣神社の境内には県の天然記念物に指定されているシダジイがある。
幹回り5m、樹高11m、樹齢300年という見事な椎の木だ。
安楽川を渡って少し歩くと街道沿いの古い民家の瓦屋根に珍しい大黒様の鬼瓦を見つけました。
多くの家に昔の屋号を記載した札が掲示されており、「宿場の賑わい復活プロジェクト」の活動で始められたようですが、それだけで昔の暮らしの一端を感じることができます。
街道から外堀を挟んで亀山城の多門櫓が望める。天正18年(1590)岡本義勝(宗憲)によって築かれたとされる城ですが、寛永9年(1632)丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が、間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したとされるそうです。
江戸時代初頭の亀山城は、上洛する将軍などの休泊所として本丸御殿が使用されており、その後も整備や改修をされてきたが明治6年(1873)の廃城令で、城内のほとんどの建造物などは取り壊され、堀も埋立てられ、現在は復原されたこの多門櫓と石垣、土居、堀の一部が残されている。
この櫓の内部は無料で一般公開されており、展示資料などゆっくり見学させていただきました。
加藤家は江戸時代後期の亀山城主石川家の家老職で、その屋敷地に長屋門・土蔵・主屋の一部などが良好な状態で残されています。
これらは、武家建築の希少な遺構として亀山市文化財に指定されており、ここも内部を見学することができます。
関宿へ向かって歩いていると古い立派な民家があった。
骨董カフェを営んでいる家で、立札に国の有形文化財とある見事な造りの家だ。
丁度良いタイミングだったので、迷わずここで、のぼりにある伊勢うどんをいただく。
そしてようやく関宿の入口である東の追分に到着。
ここは東海道と伊勢別街道が分岐する場所で、伊勢神宮への参拝はこの大鳥居をくぐって行くことになる。
鳥居の近くには、「これよりいせへ」「外宮まで15里」と刻まれた道標や常夜灯もある。
関宿に入るとそこは急に時代を遡った風景となる。
電信柱が無い風景は昔の面影を色濃く感じとることが出来る。
歩いていると入口の柱に馬つなぎの輪が付いている家があった。
これが環金具と呼ばれるものですが、ここで初めてお目にかかりました。
そしてこの関まちなみ資料館を見学。
箱階段や長火鉢などの調度類や発掘調度品など沢山の展示物があります。
明治時代の自転車も展示してありました。
自転車の原型のような現物を初めて見たが、これでも当時は画期的な乗り物だったのでしょう。
でもこれに乗っても歩いたほうが早いかもしれません。
眺関亭は関宿の家並みが一望できるように設けられた展望施設で2階からご覧のように関宿が俯瞰できます。
奥の山並みはこの先に続く鈴鹿峠で、次回はいよいよその峠を越えることになります。
最後に旅籠玉屋歴史資料館に立ち寄りました。
旅籠で使われていた寝具でしょうが、あまりにも薄い布団に当時の旅のつらさを感じます。
今まで他では見たことがなかったので印象的でした。
関宿を一通り巡ったあと西の追分の方に少し歩き、今回の旅の終止符を打つことにしました。
帰りに道の駅でお土産を買ったりで少しくつろぎ、関駅から帰宅の途につく。
今日の庄野宿からの歩き旅ではナビの記録で 距離22.9Km、所要時間8時間30分の旅になりました。
昨日の桑名からの2泊3日の歩き旅も予無事終了し、次回は鈴鹿峠越えとなり、いよいよ先が見えた感じです。