今回はJR吉原駅から吉原宿に入り、蒲原宿までを歩くことにした。
当初は、由比宿までと思っていたが、由比では広重美術館にも寄りたいため開館時間の関係で新蒲原駅をゴールとした。
吉原駅北口に降り立ったが、駅前にも関わらず商店などもなく少しさみしい駅前だ。
東海道を西に行くとき富士はいつも右手に見えるが、この付近だけは松並木の間から左手に見えるので「左富士」と呼ばれる街道の名勝に来た。
しかし、ここから見える富士は残念ながらその頂きを確認できるだけで残念だ。
ちなみにおなじみの広重の左富士はこれだ。
左富士から10分ほどで和田川の橋のたものにある平家越の碑に着く。
源氏の迂回作戦で飛び立った水鳥の羽音に驚いて平家の軍勢が戦わずして潰走したという源平の戦いの場所と云うことだ。
ここには東海道と刻まれた歴史を感じさせる道標もある。
吉原宿に入ると宿の変遷の様子が地図上で示されており非常に判りやすい。
前回訪れた元吉原宿から災害を逃れるため2回変って、今の吉原宿になっている。
吉原の商店街に入ると街並みは綺麗に整備されているのだが、賑わいがないのは休日のためだけとは思えない。
むしろ昔の方が賑わっていたのではないかと感じさせる静けさだ。
吉原宿から間の宿の本市場に入ると、道端に蓼原(たではら)の単体道祖神が祀られている。
鶴芝の碑のすぐ先にある法源寺に立ち寄るために境内に足を踏み入れると本堂横にのぞく富士の姿とマッチしてなんとも贅沢だ景観を見せていた。
また、庭の玉砂利も模様が付けられ良く整備された綺麗なお寺でした。
身延線の柚木(ゆのき)駅を過ぎて少しすると、ここには「左東海道」と刻まれた道標と秋葉山常夜燈がある。
東海道からちょっと寄り道して雁堤(かりがねづつみ)へ
富士川の治水のために造られたこの壮大な堤防はいまは役目を終えて、ジョギングを楽しむ人などの市民の憩いの場になっているようだ。
富士川を渡り、昔の渡船の渡し場であった「上り場」には今も常夜燈が残っている。
川岸から坂を上って合の宿岩淵にくると、当時のこの宿の小休本陣が無料で公開されていました。
小休(こやすみ)本陣は宿と宿の間にある宿で、主として諸侯や身分のある諸家の休憩を目的とした施設で、原則として宿泊は許可されていなかったということである。
パンフレットによると建物は安政3年(1856年)ごろに建造されたものとありますが、しっかりした柱で仕切られた部屋は品格があります。
岩淵の一里塚は江戸から37番目のものだ。
東側のエノキは枯死したため2代目に植え替えられたそうだが、このエノキは江戸期からのもののようだ。
東名高速を跨ぐ橋の上からは金網越しになるが、富士の姿が美しい。
この家は元「佐野家」と云う商家だったそうだが、とにかくなまこ壁の白黒コントラストは良く目立つ。
旅籠の和泉屋(鈴木家)は天保年間(1830~1844)の建物で、今も健在だ。
現在は一部を仕切ってお休み処として使われている。
ここは駅前がショッピングモールになっていてバーミヤンもあったので、ここで遅い昼食を済ませ帰路につく。
今回は天気も良く始終富士山の眺望を楽しむことができた。
また、蒲原宿では街道のなごりを残す家並みを目に出来たのはよかった。
今回の歩行距離20.5Km、所要時間6時間05分の旅でした。